東北から

東京国立市のPlanterCottageから繋がっている仲間たち、長野市カフェ・マゼコゼから繋がっている仲間たちが提供してくれた絵本やおもちゃ他、たくさんの支援の品々を車に積み込み東北の仲間たちの元へと向かった。

自分は、気分にムラがありすぎのかなり難のある性格だと自覚してはいるものの、基本的には馬鹿が付くほどの楽観主義者で、「まぁ、なんとかなるさ」でここまで生きてきた…という根拠は乏しいながらの自信もある。
にもかかわらずあの日以来、自分の心は常に不安定なままで、「とにかく何かしなければ…」という焦りにも似た気持ちは、結果、日常のいたるところでアンバランスさを招いている。
自分が何をすべきなのかということを考えることは必要だけれど、想像だけで物事を考えていると、結局は、できないことの理由探しに至ってしまうことは多い。
だから、離れたところからあれこれ考えていないで今より一歩近よってみることが大切。
そう、今までもずっと自分がそうしてきたように、動けるだけの体力とわずかながらの気力があるならば、そこに行って、そして歩きながら考えればいい。
自分にとっての答えの出し方はそれしかない。

そしてようやく…ようやく東北に行けた。
被災地で懸命に支援を続ける仲間たちや宮城や岩手の友人や東北の地で出会ったたくさんの子供たちとの間にあるつながり。
そうしたつながりを辿ろうとする私に、絵本やおもちゃや支援の物資を託しつつ、後押ししてくれた東京や長野の仲間たちがいたからこそ。

みんな ほんとうに喜んでいました。
東北の地でたくさんの笑顔に出会えたことを報告します。

今回の東北で私が感じたことはほんとうにたくさんあった。
中でも、東北を…そして私たちにとっての「今」を、五感で感じなければならないと強く思った。
これほどまでに感性の必要性を…感じることの大切さを思ったことは今まで無かった気がする。

東北を東北という部分としてとらえるのでは無く、私たち全体として感じたい。
部分を積み重ねても決して全体にはならない。
全体は一つの有機的なつながりでつくられていて、部分の和とは異なるもの。
全体を部分として切り刻むことはできないのだ。

少しずつになるとは思うけれど、自分が感じたことを伝え、そして、みんなともっとたくさんの話しがしたい。
報告も少しずつ書きます。

みなさんと繋がっている 絆 に感謝です。

小池マサヒサ 記

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石巻市湊中学校 3階4階の教室は避難所。

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神社の鳥居は山際にある。この鳥居をくぐって山の上に避難して助かった人は多い。

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大潮の3日前の夕暮れ。市内は70cm~80cm陥没

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石巻災害支援協議会に集まった様々なボランティア団体のリーダーたち

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南三陸町の惨状を言い表す言葉が思いつかない。

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