色のフィールド”

この世の中に偶然なんてものがあるのだろうか。

それが、“ほんの偶然“であればあるほど、その偶然は、自分であることを探し求めている自分を露出させる鏡のようなものである気がする。

この街に暮らしているのも、私にとっては、ほんの偶然の出来事の一つ。

一人で遊ばせておくには、まだちょっと早い娘との散歩。

公園という場所がどうしても馴染めない私にとって、家からもさほど遠くない場所にあるこの街唯一の大学のキャンパスが、お気に入りの散歩コースとなっている。

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この街の幸いの一つ。

それは、この大学の中にかろうじて残されている緑色のフィールドであり、過去から現在にまでに蓄えられた膨大な遺伝子がそこにはプールされていることだ。
ここで私が偶然出会った植物の数は多い・・。

東京とは言っても、ここまで山に近づけば少しは緑も増してくる。
・・・・・・。

本当は、「増す」では無くて、「残っている」と言うべきなのかもしれないが・・・。
まさか、こんなにも長く、この街に住むとは思ってもいなかったものの、これ以上東にも西にも移動する気にもならない。
もう何年も自分自身がつくりだした境界線上に留まり続けている。
四方を大小の山々に囲まれ、描く絵には、緑色の絵の具は欠かせない地方都市で育った私からすれば、緑の豊かさが気に入ってこの街に住んでいる訳でもない。
・・・・・。
「なら、何が気に入って・・・」という質問には、いつになっても上手く答えられない。

此処という場所が、此処であり続けているから。
私の中の、こちら側とあちら側の間に此処があるから。
だから私はこの街に暮らしている。
・・・と、今は答えることにしている。

娘を連れて大学の裏門を通り抜ける。

植物と大気が複雑に混じりあって放つ匂いの中に、ほんのわずか、土の匂いが含まれていることに気がつくと、木立の隙間から差し込む太陽の光は、幾分緑色に近いことを知る。
木立の上の鳥たちのさえずりに重なって、風が揺らす葉が触れ合う音や、木立の間を通り抜ける音が聞こえ始めると、私という存在もまた緑色のフィールドの一部であるということ。
・・・私たちが以前暮らしていた場所は、此処だったということを思い出す。

すずかけの木の実を、見つけて喜ぶ娘は、あっちにもこっちにもある実を拾い集めている。

彼女が集めるその実は、はるか昔の記憶と、はるか未来永劫まで伝えなければならないことによってつくられている。
彼女によって拾い集められたという出来事は、その実にとってのほんの偶然。
でもきっと、この偶然は、その実の中の何処かが待ち望んでいたはずの一つであって、次の瞬間には、記憶となって、その実の中の遺伝子の一部に書き加えられるのだろう。

そうやって、つくられるもの。
それを自然と呼ばなければならないと私は思う。

私が住んでいる場所・・・・。

私たちが日常的に使っている「住所」というものは、自然という観点を全く含んではいない。
勿論、現代に暮らす私たちが、その便利さや必要性を全て否定することはできないが、住所によって私の暮らす場所に郵便物は届けられたとしても、住所からは、その街の気候や地形、そこに生息する植物の種類を知ることはできないということを、私たちは忘れてはいけない。

私たちの誰もが、すずかけの実の持つ自然さと同じものをその内側に持っているにも関わらず、住所という効率化の手段を、無条件に受け入れることによって、自分たちが緑色のフィールドに暮らすものたちであることの意識が薄れ、其処に暮らす権利をも放棄しようとしている。

そもそも、植物の葉の緑らしさは、他の何物によっても感じられない緑と感じるように私たちはつくられている。

どんなに科学が進化しても、植物の葉の緑らしさと同じ緑色を、私たちがつくり出すことはできないだろう。
それがどうしてなのかはわからない。
しかし、そこには確実に「心動く何か」がある。
私は、その「心動く何か」が訪れる瞬間を逃したくないと思い続けている。
現代という時代に生きる私たちが、私たちもまた自然の一部であるということに気付く瞬間はとても少ない。
少ないからこそ、その瞬間を少しでも多くの人々が共有し、少しでも長くそれを持続させられる場づくりを私たち共通の目的としなければならないと思う。

私たちは長い間、いかなる他の存在にも依拠せずに自立して存在するべきだという幻想を抱いてきた。

それは、自分たちが暮らす場所に対しても変わらない。
自立して生きる為には、緑色のフィールドを支配する力が必要だと思い続けてきたのだ。
そうした幻想は、自然ばかりか、文化や歴史といった目には見えない関係性も含め、全て破壊する。

このような幻想を断ち切る為に・・・。
場所との関係性を築く為に・・・。

私たちは、場所との関係性を生きる植物という存在から多くを学ばなければならない。

植物はまさに、場所との関係性によってのみ生きている。
土地に根を張り、自らは動くことができない、植物にとって、その場所が如何にして持続するかが=自己生命の持続に繋がる。
その特徴は、「次に託す・・」、あるいは、「他の存在に委ねる」といった、人間が抱き続けてきた幻想の逆にある。
植物の場所に生きる関係性は、自らが循環を促す一員となることによって築かれる。

私たちは、今すぐにでも、自分が暮らす場所に根を張る植物に一歩近づいてみることができる。

それが、場所に対しての関係性を生きるということへの最初の一歩となり、循環の一員に加わる意思表示でもある。
私たちは全て、緑色のフィールドに生きる権利を持つ者として、壊れかけた関係性を復元しながら、人間の生活のあり方を再発見し、持続可能な地域に転換する、あらゆる可能性を探り始める。
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