「前」と「後」

最近の人気は、「江戸時代」なのだそうだ。
NHKの放送文化研究所では2007年に全国300地点、16歳以上の国民3,600人を対象に今の日本人が好きだと感じているものの調査を行っている(有効回答率66.5%)
前回調査は1983年。調査によると、好きな時代トップは1983年もトップだった「昭和(戦後)」 ただし、1983年に39%あった支持率は27%まで下がっている。
2位は江戸時代…江戸時代約300年間を一つの時代として明治や大正、昭和と比較することに無理があるような気もするが、これが現代日本人の歴史感覚であることもまた事実だと思う。以下、平安・戦国・明治…と続き最下位は南北朝時代。
この調査は2007年に実施されたものなので、既に3年以上経過している現在はおそらくこの調査結果と違いがあるだろう。
なにより、「2011年3月11日」に発生した東北大震災と福島原発事故の前か後かは、昭和を戦前と戦後に分けたと同様、日本人の意識はだいぶ異なるはずだ。
a0162646_1725191
戦後の日本社会は、貧困からの脱却を目標に、経済中心主義へと大きく舵を切り、敗戦からわずか約4半世紀という短期間で一億総中流…と言われるまでの経済大国を築きあげてきた。
日本人の生活様式が大きく変化するのみならず国民意識もまた大きく変化し、結果的には“戦争に敗けたこと”が明治以降、幾多の戦争をも厭わず求め続けた世界における日本の地位を格段に上昇させた要因…であるのかもしれない。

しかし、その代償はあまりに大きかったのではないか…。
私たちは「今ここ」を得るためにいったい何をその代償として支払ってきたのだろうか。

もちろん、こうした問いはそれ以前にも無かったわけでは無い。
敗戦を経験した日本が奇跡的な経済急成長の歩みを続けた戦後昭和時代にも…、経済成長に急ブレーキがかかり、打開策は何ら見いだせないまま、生活格差は日毎複雑化、増大する一方の平成時代にも…、今後社会に対する警笛は鳴らされ続けてきた。
…がしかし、それはあくまでも想像の域を出ることができないことに対する警笛であったように私は思う。
私たちはそんな警笛を聞きつつも…警笛が大きくなればなるほどに、「そういう社会になるはずはない」という根拠の無い想像を懸命に膨らませ続けてきたのだ。
こうして築かれた社会が実は『泡』でできた想像社会であると私たちが気付くためには何かしらのきっかけが必要だったのだが…。
a0162646_17272170

延々と育まれてきた戦後昭和的な想像力によって築かれてきた世界…。
およそこれがあの美しさの根源を私たちに見せてくれた自然とは思えないほどの形相で私たちを震え上がらせたあの日…。私たちが戦後築きあげてきた世界は波頭にもまれ、あまりにも簡単に崩れ去ってしまった。

私がずっと追い求めてきたリアリティーとはいったい何だったのだろうか…。
リアリティーがこれほどにも残酷であると私は想像したことがあっただろうか。
美しさなどと口に出してはみるものの、それは「…であったらいいのに」程度の
センチメンタルなたんなる私の夢でしかなかったのかもしれない。

あの日を境目にして、“今までからこれからへ”…と大きくシフトしようとする声があがることもまた必然。
悲しみも怒りも痛みも…全ては波にのみ込まれ海の底に引きずり込まれてしまったあの日あの時を乗り越えようとする人々が新しい秩序や新しい日常を求めるのは当然だ。
しかし、眼前にある世界が現実だとしても、私たちはそれを現実として捉えることにおいてあまりに無力…、あまりにも与えられることだけに慣れすぎたがゆえ、自らの目で…自らの力で現実を手繰り寄せることができなくなってしまっている。
テレビ画面に映し出される光景を現実のありさまとして自らの目で捉えるためには、あまりにも現実社会は私たちから引き離され、遠退いてしまっているのかもしれない…。

何をこれから大きくシフトさせれば良いのかわからなくとも、考えるより連帯し行動することこそが重要…それが戦後昭和の復興と成長の歩みを支え続けてきた最も大きな原動力であることを私たちは知っている。
今はまだ、そうした戦後昭和に築かれたビニールハウスの中で育くまれてきた純粋無垢な想像力によって垣間見ようとしたおぼろげな新たなる未来に向かって皆を誘い、歩調を揃えようとすることで精一杯なのも無理はない。
そうやって私たちは2011年3月11日後の新しい日常をつくってゆくしかないのかもしれない…。

私は、そうした今をある程度は理解できるし、またある程度は新しい日常に向けそうした人々と共に歩みたいとは思う気持も無いわけではない。
けれど今はまだ私は、私のできることしか出来そうもない。
あの日起こった出来事は、日が経つにつれてかえって私を私の内に向かってしっかりと引き留めているような気がする。
それは自分以外を…自分の外を拒否するということではない。
今は、もっともっと人と話すことが大切だと思っているし、その気持ちはあの日以前よりも更に増している。CafeMAZEKOZEが、“自分の言葉で自分を表現できる場”へと成長して欲しいと心から願っている。
“つながる”という意識はとても大切だけれど、今何と繋がることを私は求めているのかを知ること…その一点において今は“つながる”を自分の傍においておきたい。
a0162646_1730988

思えば、あの日よりずっと以前から、私の中には怒りが充満していた気がする。
それをあらためて意識したのが“あの日”だった。
あれからずっと、今も私の中にある怒りのエネルギーはあの日地球が放ったエネルギーに共振したまま揺れ続けている。
この揺れが収まる時、新しい日常に向かって何処からか光明は射すのだろうか…。

私の中にある怒りは私を「美」もしくは「Art」へと揺り動かすエネルギーでもある。
美やArtが怒りに端を発する…というと語弊があるかもしれないが、怒りとは何も誰かを殴り倒したいというような単なる暴力の元凶であるとは限らない。
怒りを美へと、Artへと導くことができるとすれば、それは新しい秩序や新しい日常を築く過程においても使うことはできるのかもしれない…。
そもそも「怒り」と「暴力」は全く異なるものだ。
怒りは「危険にさらされた」という意識・認識に起因する感情であるとするならば、怒りはまた「痛み」と隣りあわせにあるとも言える。

怒りの感情を何処にどのように向けるのか…。
そもそもこの怒りは何によって生じたものなのか…。
個人が溜め込んだ怒りをどの方向に向かって発散するかはもちろん個人の資質によるが、怒りは本来、伝染性をもたないはずにもかかわらず、“突発的な怒り”が集団全体に飛び火し混乱する状況はこの社会のそこかしこにある。
社会には怒りが満ちている今、この怒りをどう捉え、そして怒りを何処に向けるかは私たちにとって最も大切なことなのではないだろうか…。

かつて、「昭和(戦前)」の日本は怒りを抱え込んでしまっていた…抱え込まされてしまったという見方もあるだろう…。
いずれにしても、その怒りがなぜ戦争にまで繋がってしまったのか…夥しい人の命を奪いとるまで戦争を止めることはどうしてできなかったのだろうか…。
私たち人間はそうまでしなければ怒りを発散できなったのだろうか。
その怒りの矛先が戦争へと向けられた場合、誰が傷つき誰が得をするかについてどのように想像していたのだろうか。
…。
先のNHK放送文化研究所の2007年調査では、「昭和(戦前)」は9位。(1983年は5位)
もちろん、戦前昭和、先の戦争について考える論考は山ほどある。
けれど、今だからこそ「戦前昭和」…日本が戦争へと突入してゆく背景にはいったい何があったのかを私たちひとり一人が個人の問題として真剣に考える必要が、そして私たちはそれについて語り合う必要がある気がしてならない。
たとえ何処かに怒りのきっかけがあるとしても、私が抱く怒りの感情はあくまでも私の内側で起こるものだ。
私の何が…私の外側の何と繋がることによって怒りは生じるのか…。
自らの内に沸き起こる怒りと真剣に…正直に向き合う以外、怒りが暴力へと変貌することをくい止める手立ては無いと私は思う。

作家 辺見庸は、東北大震災直後、3月16日の北日本新聞に「震災緊急特別寄稿」を寄せ、その文中で、カミュの小説『ペスト』について触れ、この世に生きることの不条理はどうあっても避けられないという考え方を、主人公のベルナール・リウーに、“人が人にひたすら誠実であることのかけがえのなさ”をかたらせていると述べ、混乱の極みであるがゆえに、それに乗じるのではなく、他に対しいつもよりやさしく誠実であることの大切さを書いている。
脳出血で倒れさらに二度の癌に冒されてなお、執筆や講演活動を続ける辺見庸の生き様、そこから紡ぎ出された一字一句に魂の震えを感じるのは私だけではないはずだ。
a0162646_17322517
a0162646_20114757

今年3月11日の出来事の中にある「痛み」はもはや想像上の痛みでは無く私たち自身の痛みそのものだ。
もしもこの痛みを感じることができないほどに私たちの感性が鈍化してしまっているのだとしたら、自分が溜め込んだ怒りが暴力へと連鎖することも想像できずに、私たちが抱えてしまった怒りはただひたすらこの社会を太らせ、維持存続させるためにのみ消費され続けてゆくのかもしれない。
そして、私の怒りはあの日からずっと揺れ続けたまま・・・
二度と揺れが収まることはなくなってしまうのかもれない。

a0162646_17342046
jan saudex
David, Lonely Forever, 1969
一か月前の5月31日、辺見庸の新稿が共同通信社より配信され加盟紙に掲載されるとのことでしたが
わが家が購読している信濃毎日新聞には掲載されなかったようでした。
6月6日付北海道新聞夕刊
「幻燈のファシズム ──震災後のなにげない異様」
を転載している、河津聖恵さんのBlog

a0162646_17352191

かなりゆったり…今日のCafeMAZEKOZE
しばらくランチはお休みですが、
ゆったりまったり…ご自分の言葉を持ってお話しにいらしてください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です