永遠に続く瞬間の積み重なり…。
瞬間を、いまここ へと導くもの…それが生命。
いまここ に自分は生きている。
私たちの誰も、自分自身がこれから何処に向かおうとしているのかを知る為に、行く先を決断する為に、『いまここ』という感覚を欠かすことができない。
『いまここ』の感覚は、この世に満ち溢れる生命とは一つの有機的な繋がりであるということ…全ては連鎖と関係の網の目の中にあることへの気付きと共に沸き起こる感覚だと思う。
いま私たち人間は、この世に息づく生命の本質でもある、連鎖と関係の網の目からはみ出してしまってはいないだろうか…。暴力とはこの世の生命全てが連鎖し関係し合う網の目からはみ出した姿だと私は思う。
この世の全ての関係性が非暴力の元に繋がりあうことをイメージする力を身につけることが必要だと感じていた私は、自分の生き方として選択したArt…美術とは、その為に、誰もが使える必要性があるのではないか…と思ったことがRIKI-TRIBALの始まり。
以来、RIKI-TRIBALの活動の中心にWorkshopを位置づけてきた。
私たちが考えるワークショップとは、自らの経験や体験をとおして感じたこと、考えたこと…気付きをシェアすることによって、自らの成長のみならず、互いに成長を促しあってゆく為の場づくりそのもの。
昨年11月と12月に、Rocket Stovesのワークショップの講師(ファシリテーター)として関わらせて頂いた。どちらのWorkshopも価値ある時間となったことに感謝しているけれど、私自身にとって、あらためてWorkshopそのものについて考える貴重な機会となったことに感謝しなければならない。
Rocket Stovesについて自分たちなりに思うことや伝えたいことなどについては時折、マゼコゼ日記にも書いているので、そうした記事を読んで下さった方が、遠路はるばる、Cafeマゼコゼまで見学に来て下さったり、質問のメールを送って下さったりと、それはそれでとても有難いしとても嬉しい。
それでも…Blogという通信手段の限界というか、文章で伝えるということの難しさ、歯痒さを感じることは日々とても多く、そうした限界や難しさの全てをワークショップが埋める?…ことはできないまでも、人と人が直接会って、話したり作業を共有することによって得られる独特の効果はワークショップだらかこその魅力だと思っている。
そもそも自分が、Rocket Stoveについての多くを知ったのはインターネットという通信手段の発達があったからこそ…当時、その全てがアメリカからの発信だった。
そのことを思うと、自分の経験もインターネットを通じてシェアすることはとても大切だ…と思ってはいるものの、残念ながらいまのところ実現できていない。
自分はやはりローテク思考なのだろうか…Workshopのような、人と人が直接会って、話したり作業を共有する場をつくることへと意識も体も向いてしまうのだ。
Workshop…は、ここ最近になって広く一般的に認知された感がある。
自分が意識的にワークショップという手法を用い始めたのも10年ぐらい前から。
…今思えば、それ以前から…それは学生の頃から。まだワークショップという言葉そのものが使われていなかった頃、自分一人では作業が難しい大きな作品づくりは友人に協力してもらったり、一人だけでは効率が悪い作業(陶芸の窯入れとか野焼きとか…)では、共同すること、お互いに協力することは欠かすことはできなかった。そうした経験が、現在の自分のワークショップの基盤となっていることは間違いないと思う。
そうした中にはその後のWorkshopへと通じる要素も多々あったし、その殆どがWorkshop的な展開の中で進められたこともたくさんあったとは思う。
でも、人と人が会話し、作業を分担し、その場を共有しながら、何か一つをつくり上げるだけなら、それはやはり共同作業の域を越えることはない。
例えばそれは、家づくりにしても、合唱や演劇にしても同じかもしれない。
私たちの多くが経験している「学校での学び」と「Workshopでの学び」はいったい何がどう違うかを説明することはとても難しいけれど、なぜWorkshopでなければならないか…は重要だ。
ワークショップについて定義付けるつもりは無いけれど、それでもここ最近、問題解決やトレーニングの手法、学びと創造の手法としてこの言葉が使われる事はとても多く、あらゆる分野で「ワークショップ」が行われているのは事実。
美術・芸術の周辺でもその傾向は同じ…最近では多くの美術館にはワークショップ専門担当の学芸員がいるまでになっている。
こうした傾向を否定するつもりは無いけれど、Workshopは未だ発展途上の段階だ。ここにはまだ大きな可能性があると思っている者の一人としては、これが単なる一過性のスタイルや、人集めの為の都合の良い言葉になってほしくないと思うと同時に、自分自身が『Workshopという場』をつくる者として、その難しさを越えてゆかなければならないとも思う。
昨年から今年にかけての自分の身体の変調によって、RIKI-TRIBALのこれからについて見直してゆかなければならないとは思っている。
年末に発症した目の病によって、自分が「いまここ」ですべきこと、「いまここ」でなければできないこと…についてあれこれ考えてはみてはいるけれど、所詮、自分にできることはたった一つ…
『自分の手でつくること』しか無い。
大袈裟かもしれないが、私にとっての気付きの全ては「自分の手でつくること」から起こったこと…と言ってもいいぐらいだ。
もちろん全てが今までどおり…にはいかないとしても、これからも自分の生き方の中心には、この一生が終わる瞬間まで、「自分の手でつくること」が置いておきたい。
その素晴らしさを…自分がこれまで「自分の手でつくること」によって得られたこと、そして今も持ち続けていることを、それを望んでくれる人々とシェアしてゆきたい。
シェアのかたちは色々…ワークショップもその一つ、マゼコゼをいま以上に、共につくる場として積極的に使ってゆくつもりだ。
それはきっと、昨年、大町市八坂の山中でのワークショップでも強く感じたこと、
『Shareによって育まれる気付き”が連鎖し循環する暮らし…生き方』を実践してゆくことだと思う。
そうすることによって、「いまここ」から、共に考え共につくる未来へと向かうのだと思う。
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