未来

本格的な冬が降りてきた。 北部の山沿い地域の豪雪は凄まじく、何人もの人の命までも奪ってしまっている。 お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りしたい。

このところ、朝になると毎日5cmほどの雪が市街地を覆う。 標高350M前後に位置する長野市街地は、周囲を数百M~2000M以上の山々に360度囲まれた善光寺平と呼ばれる盆地にある。 11月の後半にもなれば、2000M級の山々の頂きには雪が舞い降り、人々は冬が山の上までやって来たことを知る。  この盆地の冬は、山の上から降りてくるものだ。

玄関先の雪の匂いを嗅ぐ犬の姿の先に、雪の降り積もった森が見えた。 雪の上の散歩に出かけたそうなピスを連れ、ストーブ用の薪置き場に薪を取りに行くついでに、その先にある旭山の森へと向かう。 おそらく、雪が降り積もったこの森で心躍っているのは犬よりも私。 雪が降り積もった森の静寂さは、私たちのような侵入者の気配など直ぐに消し去ってしまうほどに、どこまでも広く深い。
戸隠山麓を源流とする裾花川が、標高785Mの旭山の北側斜面にぶつかり東に曲がる。山裾に沿った流れが大きく右に曲がるその内側には、この川の流れによってつくられた小さな扇状地がある。 里島と呼ばれるこのあたり一帯は、私が中学校ぐらいまでだっただろうか…その殆どには水田が広がっていた。 この里島の対岸の裾花川沿いで生まれ育った私にとって、裾花川と里島、旭山…それらが一体になった姿…それが私にとっての最初の自然だったような気がする。

CafeMAZEKOZEでもマゼコゼ日記でも注目されることが多いRocketstove. なぜいまRocketstoveなの…と質問されることも多いけれど、自分のRocketstoveについての理解と、ここ最近Rocketstoveが注目される理由は必ずしも一致しているわけでは無い。 自分にとっての興味は既にRocketstoveそのものというよりは、こうしたRocketstoveのいまをどのように使うか…Rocketstoveから何処に向かうことができるか…に興味は移行している。 いや、むしろ興味が移行しているというよりも、始めからそこにしか自分は注目していなかったのかもしれない…。
Rocketstoveと呼ばれる燃焼構造は1982年頃…いまから既に30年ほど前に考案されものだから、既に新しい発想とは言えない。
80年初頭は、70年代に起こった石油危機という世界的な経済大混乱によって、石油資源に対する危機感や地球環境保護などの動きが活発化し始めた頃。 同じ頃日本は、高度経済成長期の最終段階へとさしかかり、社会全体がいわゆるバブル景気の勢いに浸かり始めていた。環境問題や世界が抱えている深刻な問題に目を向けるような気運は起こりづらく、経済大国としての地位をより強固にしようとする気運が高まっていった時代だったと思う。
あれから30年。 Rocketstoveは、アフリカやアジア・南米など…主に熱帯周辺地域で利用され、さらに拡大し続けてはいるものの、状況は30年前よりもさらに悪化しているという。その最も大きな理由は、20世紀後半の熱帯地域での爆発的な人口増加と、深刻化し続ける貧困問題にある。
世界規模での木材消費量はいまもなお増大し続けている。 国土の68%が森林でありながら国内需要の約8割、約6,300 万m3(2007年財務省「貿易統計」)の木材を、カナダ、オーストラリア、ロシア、 アメリカ、マレーシア、欧州などから輸入する世界有数の木材輸入大国…日本。 国内林の年間生長量だけで需要の8割が賄えるとの試算もあるほどの、日本で唯一と言ってもいい自給可能な資源である森林には手を付けず、国産材は、運送費や人件費などコスト高を理由に、世界中の森林を伐採し、大量に安く輸入する。世界的に森林資源は急速に減少しているにもかかわらず、日本国内の森林の殆どは利用されないまま…森林資源量は増えている。

生きる為に… アフリカでは既に、家庭用エネルギー(調理用エネルギー)に占める木質燃料の比率が9割を超えているといるにも関わらず、森林そのものが減少し続けている影響もあり、木質燃料は絶えず不足し続けている。 このままでは大地も人も、生き続けることは難しい。
森林を守ること、木質燃料からの転換が必要なことは誰もがわかっている。 わかってはいるけれど誰もそれを守れない、止められない…。 それこそが、いま世界が抱えている痛みの本質なのだと思う。 痛みがあるにもかかわらず、ほんとうは痛んでいるのに、その痛みを感じないですむことを人は望んでしまう。
誰しも痛みを一人で抱え込むのは辛く苦しい。 痛みを減らしてあげることも、代わってあげることもできない。
もちろん、Rocketstovesにそうした痛みを遠ざけてあげることはできない。 むしろその逆… 私たちが抱えてしまっている痛みとは何であるのかを知るために、 逃げることのできない痛みに向き合いながら生きるためにそれはあるのかもしれない…。

私がRocketstovesに注目する最も大きな魅力は、 『そこにある材料、そこにある力でつくれること』 できる限り単純で簡単な構造…自分でつくれるという自信は、痛みを遠ざけたり逃げるのでは無く、痛みと共に生きる勇気へと繋がるはずだ。 最新の装置や複雑な器具に頼る暮らしから、『自分でつくる力』を知り、学び、シェアする暮らし、生き方…Sustainable…持続可能性。 抱えている痛みを自分ひとりの内に抱え込まず、ほんの少しの勇気によって外側で繋ぎ合わせることから始まる暮らし…そうした暮らしは、人口増加や貧困によって今日を生きることさえままならない地域に暮らす人々よりむしろ、“いまここ”に暮らす私たちだからこそできること、私たちに必要な生き方だと思う。

日本では、Rocketstoveが注目される以前からずっと薪ストーブ人気は高かったけれど、最近になってさらにその人気は上昇しているようだ。そもそも、この薪ストーブ人気がRocketstoveにも飛び火した可能性は大きいが、そうだとしても、薪ストーブには無い魅力や可能性をRocketstoveに感じている人々が徐々に増えてきているのだとすれば、それは極めて注目すべき出来事だと思う。 Rocketstoveと薪ストーブの違いは多いけれど、それでも、薪ストーブやRocketstoveが注目されるようになった“いまここ”に、人々の物事に対する意識が少しずつ変化し始めていることを感じることができる。
私たちにとっての真の未来とは、私たち一人ひとりの想像の先にある…と自覚することに始まる。
壁に掲げられた未来を追いかける必要は無い。 未来は自分で想像できる。 自分の力を信じ自分の道を自分で歩く。 その道は険しい。 けれど、私は決して一人じゃない。
私たち一人ひとりが、自分の奥深く抱え込んでしまっている痛み…。 自分自身が何に傷つき何によって痛みを抱えてしまっているのか…痛みに自分一人で向き合うことは辛く厳しい。 けれど、この世界は全て一つの有機的な繋がり… 私の痛みは世界の全ての痛みとも繋がっている。 目をそらさずに、痛みと共に生きる勇気…。 ほんの少しの勇気を出して繋がって行く先に、Rocketstovesの底で燃える炎の先に私たちの想像する未来はきっとある。

小池マサヒサ 記

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