後谷

新潟県上越市…高田平野西部に位置する駕町南葉山(909M)と青田南葉山(949.3M)の西側にはかつて、『後谷』(うしろだに)と呼ばれていた「村落共同体」があったそうです。 「村落共同体」という概念は、社会学的にはもちろん都市工学や都市設計、経済学,歴史学,農業経済など多数の分野でそれぞれ多様な意味合いで使用されていることから、これを一義的に定義することは難しいとされていますが、本来そこにある共同体のありようは、良くも悪くも集落とか村社会という表現の中に半ば強引に押し込められてしまっているような気もします。
「後谷集落」は行政的には「廃村」ですが、それは暮らしてはいけない…ということではないそうです。ただし行政は、冬になると4Mの積雪があるこの後谷に通じる道路を除雪してはくれません。暮らすことを禁止されてはいないけれど、かつての集落は集落では無くなり地図上の一地点となること…地図上の一地点での暮らしは自己責任…それが「廃村」という意味であるのです。

この、かつて後谷集落があった山奥にたった一軒、友人家族が暮らしています。 その前日、大町市八坂でのロケットストーブWSを終えその帰り道、なぜか後谷に暮らす友人家族の顔をみたくなって昨日、家族全員で彼とその家族に会いに行ってきました。 詳しくはわかりませんが、彼が自力で家を建て家族と共に暮らしているこの場所にはかつて、この集落の子どもたちが通った、分校があったそうです。 インターネットで探せる範囲によると、1970年に高田市立黒田小学校後谷分校が廃校になったとある…おそらくはそれ以前から…今から40年前頃から後谷集落の人口減少は加速し、村を離れる人が徐々に増え、やがて廃村という判断が下されたのでしょう。

いまこの谷にかつての家々は一つもありません。 自分の力で、自分が暮らす家を建ててみたい…という想いを抱えた友人は、縁があってこの山奥の地にめぐりあい、ここに家を建て、米をつくり、家族5人でこの家に暮らしています。

積雪4Mという人間にとって過酷な自然環境は、豊かな水と豊かな森を育みます。高田平野の見事な田園地帯は、そうした森と水があってこその賜物。
森は、人が離れた集落をたった40年そこそこで、ほぼ元どおりの自然の姿へと戻してしまっている…なんという自然の強さ。 こういった場所に立つと、私たち人間は何処から来て何処に向かうのかを思わずにはいられない…それは、自然を敬うとか守るとかでは無い…私たちはここと一体であるという感覚。
かつてここで暮らしていた人々が、この豊かな森に暮らそうと決めた理由…。
過酷な自然にさらされ、立ち向かいながら、それでも人々は助け合い、ここに暮らしながらここで見続けようとしたものがあるような気がします。
それはもしかすると、自分がここで感じた気持ちに近いものかもしれない…。 とはいえ、そうした気持ちを、毎日毎日…持ち続けることは難しい…。 そんな厳しさを乗り越えてまで感じようとするここでしか感じられない何か」 その「何か」がある…と信じることができた時、人はきっと自然と一体になっていると感じられるのかもしれない… そう思った久しぶりの後谷でした。

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