環境と風土

 私たちが「環境」と言うとき、それは人間を中心としてその周辺も含めた生存可能な条件を示す意味合いが強いのに対し、「風土」は、人間だけでなく、生きとし生けるもの…さらに山や川というような景観も含め、この世の全てが関係しあうことによって生きているという状況を示している…という違いがあるような気がします。明治18(1885)年、長野県更級郡三水村(現長野市信更町)に生れ、旧制諏訪中学(現・長野県立諏訪清陵高等学校)の教師であり地理学者の、三澤勝衛(みさわかつえ)は、…「風土」を大自然である大地の表面と大気の底面との接触面における一大化合体であるとし、この接触面において土壌・植物・動物・人間が互いに大地・大気と関係しあいながら、一体となって表出するものであると捉えました。旧制中学…いまでいう高等学校くらいまでは、日本のことも世界のことも教えなくてよい…ひたすら郷土研究だけやれぼよいとした、三澤勝衛の授業は、ひたすら郷土のフィールドワークを実践していたそうです。

彼は、私たちが「風土」を具体的なかたちで知るものとして、さまざまな「風土計」ともいうべきものがあり、例えば植物の生長・繁茂は「風土」の一表現であり、私たち人類は、風土計でもある、植物・動物・土壌・人類の生活を深く細部に至るまで見ることが必要であり、それと同時に、風土を空間的・時間的視点を持って捉える必要があるとしました。

こうした風土の捉え方は、三澤勝衛の没後30年以上後になって…1970年代前半にアメリカのエコロジスト、P・バーグ(Peter Berg)によって提唱された、「生態地域主義」;bioregionalismという捉え方につうじるところもあるものの、生態地域主義が、自分たちが居住し生活を営む場である地域において、自然と人間との昔からある相互のかかわりを再度見つめなおすことで、その土地の特性や自然の持続性を損なわないような生活様式を構築していこうとする、あくまでも人間を中心とした「環境」としての捉え方とは微妙に異なるような気がします。

時に私たちにとって環境という捉え方は大切です。 しかし、環境という捉え方だけでは、解決できない矛盾が次々と生じてきているいま…。 風土を活用することこそが人類の叡智であるとし、低温、多雪、冷水、風が強い、低湿など…人間にとって一見望ましくない自然に対しても、それを憎んだり、征服したりしようとするのではなく、風土に従い、その力を活用することでプラスの力が生まれる…といった三澤勝衛の捉え方は、「いまここ」を生きる私たちにとって重要な、とても大きな生きる力となり得るような気がします。

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