稲荷神を祀る神社を稲荷神社という。
朱い鳥居と白い狐をシンボルとする稲荷神社は、京都市伏見区にある伏見稲荷大社に鎮座する神が、勧請(かんじょう:神道では、神霊は無限に分けることができるとされている)されて、全国の稲荷神社などで食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神として祀られているが、日本という風土ならでは…神仏習合という考え方によって、稲荷神はまたインドのヒンドゥー教に由来する仏教の女神…荼枳尼天(だきにてん)と同じとされ、豊川稲荷など仏教寺院でも祀られている。
私たちが暮らしている長野市善光寺町をはじめその周辺は、まさにそんな神仏が集合してまぜこぜになった町…朱い鳥居と白い狐を祀ったお稲荷さんにあちらこちらで遭遇することができる。
昨夜、長野市緑町にある「菊屋稲荷社」では 秋の大祭礼があった。菊谷稲荷神社は、かつて江戸時代まで、善光寺門前町…問御所(現在のセントラルスクエアの北側あたり)にあった大庄屋で造り酒屋の「菊屋」の屋敷神として祀られていたお稲荷さん。
明治になって菊屋が衰退すると共に、おそらくは明治政府による廃仏毀釈の動きもそれを加速させたのだろう…社殿はすっかり荒廃してしまっていたところを、「日之出講」と呼ばれる「
講」を組織した人々によって菊谷稲荷は復活し、菊屋稲荷という貴重な地域文化は現在も「講」の方々の努力によって守られている。
多くの神社は町や村の住民を中心とした人々の繋がりで維持存続している。
この時期…秋という農作物収穫のこの時期には、長野市やその周辺では、数え切れないほど多くの秋祭りが行われる。
そうした神社を祀る町や村の多くが、過疎高齢化という問題を抱えていることはまた事実で、これによって、神社が執り行う行事を続けることが年々困難となり、神社の衰退=町の衰退=地域文化の喪失という経過を辿る町や村は多数存在している。
これに対して、現在も増え続ける、郊外化住宅、新興住宅地と呼ばれるような多くの住宅地には、そもそもその産土神を祀るといった概念が存在しない。その代わりとしてあるとすれば、それが公民館であったりコミュニティーセンターであったりするのかもしれないが、それは決して神社の役割を担う為につくられるものでは無い…。
もちろん、それはそれとして、地域の人々が連携し繋がりあう「要」として必要なものではあるものの、「もともとそこにある土地…自然風土の一員に自分たちも加えてもらう…」といった発想はそこには無い…。
一概に、信仰心が薄れたからこうなった…とか、信仰心を持ちさえすれば問題が解決するとは思えないし言えないけれど、でもやはり、高齢化によって仲間が減り、たった数人となってしまった今もなお、「ここを守り伝えてゆこう…」としている、菊屋稲荷の講の方々の姿にふれた時、「ここを守りたい」と思う気持ちが自然と沸いてくる。これが自然なのではないかと思う瞬間がそこにはある…。
そういった気持ちを置き去りにして私たちはいったい何処に行こうとしているのだろうか…。
秋…自然を感じたければ秋の神社に行ってみたらどうだろう…。
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