They Live

「閉塞感」とか「不況」とか「衰退」とか…巷にはネガティヴなキーワードが溢れかえっている。…にも関わらず、まわりを見まわしてみれば、そうしたネガティブなキーワードと現実はけっして結びついてはいない…と感じるのは私だけなのだろうか。

かつてのバブル経済絶頂期を学生…駈けだしの美術家としてすごした私ではあるけれど、六畳一間の風呂無しアパートに暮らし、自分の電話番号を持てたのは大学卒業の間際になってからだった。
もちろん、バブル絶頂期とは言っても、その時代
はいまから既に20年以上も昔…コンピューターすら身近に無かった時代と今を一概に比べることはできないけれど、それにしても、お金持ちから普通の学生までがスマートフォンを持ち歩けるような現代ほど豊かな時代は、日本の歴史上一度も無かったはずだ。
…にも関わらず溢れかえる閉塞感や不況や衰退という言葉。

古くから日本では、言葉には霊的な力が宿ると信じられていてそうした言葉に宿る霊性を言霊「ことだま」とよび崇められていた。
声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられた言霊は、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされている。
良くも悪くも、私たちは言葉に支配されやすい…ということだ。

“自分は無神論者だ”…と思っている人が多い現代の日本人ではあるけれど、こと、言葉が持つ霊性を無意識に感じたり、言葉の霊性を信じている人々は極めて多い。
私からすれば、星座占いも、おみくじも、言霊もみな…目には見えない力を信じるといった意味からすればすべてそれらは宗教であって、特定の宗教宗派を信じるということでは無いにしろ、日本人の多くは無神論者だとは思えない。
それどころか、この風土の上に暮らしている以上、目には見えない力を信じないで生きることの方が難しい…。

「えっ!…あの人ったら宗教やってるの?」や「なんかそれって宗教っぽくない?」といったシチュエーションに出くわすことは多い。
その背景にあるものは、「目には見えない存在への恐怖」…さらには、そういった存在ばかりかそういった一切を信じるという行為そのものに対する差別意識が隠れていると私は思う。
私たちは、目には見えない力を信じることができるにも関わらず、宗教性に脅え、排除しようとしている。

…にも関わらず、愛を信じよう…、繋がりを大切に…、奇跡…という言葉は賛美され繰り返し叫ばれる現実。
かつて無い豊かさに満ちているこの国で叫ばれ続ける、閉塞感や不況、衰退…といった言葉の数々…。

3.11は、私たちに大きな反省と大きな決意をもたらした。
けれど、閉塞感や不況や衰退をもたらしてはいない。

スマートフォンの向こう側から聞こえてくるのは「閉塞感」や「不況」という言葉ばかり…。
私は言葉が発せられるその向こう側に“ファシズム”を感じる。
閉塞感を打ち破り、私たちがいま以上に取り戻すべき豊かさとはいったい何であるのだろう…。

ジョン・カーペンターによるSF映画 『ゼイリブ』:They Live(1988年)が見たくなった。

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