人助け

娘が学校に出かけていって間もなく。pisuはいつもより散歩に出かける時間が遅いとそわそわしはじめた頃、外から電動ドライバーを使っている音が聞こえてきた。
こんな早くから、ご近所の家の修理かな…と思いながらpisuを連れ外に出てみると、先ほど外から聞こえてきた音と同じ音がご近所のお宅の自動車から聞こえてきた。
夏場の自動車は想像以上に電気を消耗するらしい。
キュルキュル…きゅ…グきゅ…カチカチカチ……見ている間についに音もしなくなった。

私が自動車の免許を取ったのは19歳の夏…そして20歳になってからだったか…知りあいの中古車屋さんから3万円で車検切れまじかの車を譲ってもらった。
その車が廃車になってからも、2万だったり、タダだったりと中古自動車を乗り継ぎ、未だに新車を買ったことの無い自分は…安物買いの銭失いなのか…。自分には車とはどこかがくたびれているもの…という考え方が沁みついてしまっていて、バッテリー切れで動かない車を前にいままでに何十回も“電気をもらったりあげたり” を繰り返してきたような気がする。だから、自分の車の中の必需品NO1は「バッテリーケーブル」No2 は牽引ロープ。この二つだけは何処に行くにも欠かせない。

…とは言え、こんな私のような物好きはともかく、ハイブリットカーが主流になりつつある昨今、おそらくバッテリーケーブルを車の必需品として携行し、その上、いざとあらばすぐ出動!…なんて人が多くいるとは思えない…。
町には便利なお店がたくさんあるし、携帯電話一本で何処にいても駈けつけてくれる特約のついた自動車保険もたくさんある。
走っている自動車を止めて、「すみません、バッテリーがあがってしまって…」と助けを求めたところで、問題が解決する可能性は極めて低い…。
それどころか、「…ざけんな、馬鹿野郎!自動車屋に電話しろよ!」…と言われるのが怖くて、とてもそんな気にはなれないのがいわゆる一般的な感覚なのではないだろうか。

こういった場面に遭遇するといつも思うのは、「当事者からは頼めないんだよなぁ…」ってこと。
こういった時、これを見た人が「どうかしましたか?」と切りださなければ、その先には決して続かない…。
これが現代における象徴的なコミュニケーションの道筋であるような気がする。

こうした時、「どうかしましたか?」と、声をかける側の決意こそが試される。
もし声をかけて振り返った瞬間に、「気にしないでください」…ときっぱり言われたらどうしよう…と思ってしまうのだ。
気にしなければ…関わりあいさえ持たなければ、お互いに嫌な想いをしなくて済む…という思考は、人と人のつながりを最も阻害する要因となっている。
もちろん、感謝されることを期待して声をかけるのはどうかと思うけれど、感謝されることを期待した優しさが現代社会には蔓延しているのもまた事実…。

これから起こるであろうことに対して、何はともあれ「恐れが優先してしまう」こと…この背景にあるものに目を向ける勇気無くして、「人と人のつながりが大切…」なんてことは言えないのだろうな…と思った今日の朝だった。

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