善光寺平

いま私たち家族が暮らしている善光寺門前町は、善光寺平(長野盆地)の北西に位置している。
言うまでも無く、善光寺門前町とは善光寺という寺がこの地にあったからこそ開けた町。
善光寺がいつからこの地にあったのか…それについて「善光寺縁起」のような文献はあるものの、そこに書かれている内容はほぼ伝説…。しかし、そうした伝説として語り継がれること自体が善光寺が善光寺たる由縁であると思う。

この世には、知った方が良い真実と、知らなくても良い真実がある…と私は思っている。善光寺の起こりを知ろうとすることが無意味であるとは思わないけれど、それがはっきりしないからといってどうなるだろう…もしもその真実が解明されたとしても、おそらくは何も変らないと私は思う。

自分は特定の宗教宗派を信仰する信者ではない。…とは言っても無神論者でもない…と思っている。
善光寺を信じているとも言えるし、信じていないとも言える。
信じるということは、神や仏が存在するかどうか…それについてのYes or Noでは無いと思っている。正直言って、神だろうが仏だろうが何でも良いしそんなことはどうでもいい…。
ただ私は、私たちが生きるこの世とは、目に見えるものと目には見えないものによってできていることを信じている。

人々の想像が想像を生み、人が生きてゆく上で必要な創造性を育んできたそのもとに善光寺があったのだとしたら…。もしそうだとすれば、そこにはもしかすると私が追い求めている「美」の本質があるのかもしれない…。
そう…。私はなんとなくそれを感じたからこそ、自分が生まれ育ったこの土地に家族を連れ戻ってきたような気がしている。

善光寺がなぜここに…
なぜ、広大な盆地の北西の片隅に築かれたのだろう…。

善光寺を訪れる時…石畳の参道を歩き山門をくぐった途端、視界に飛び込んでくる、善光寺本堂に圧倒される。
ほんとうに素晴らしい建築だと思う…この建物がつくられた頃のことを想像するだけでも胸は高鳴る。
…でももう少し遠くから…もう少し高くから善光寺を想像してみてほしい。
そしてかつて、門前町にこんなにも家々が立ち並んでいなかった頃を。
善光寺本堂よりも大きな建物なんて一つも無かった頃のことを…。
私は、そうして想像できるもの…それこそが善光寺だと思っている。

(写真:信濃水内彦神別神社遺跡之図 長野市立博物館蔵)

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