悩んだ末に、アトリエを引っ越しすることにしました。
アトリエ…とは言っても、作業ができる場所という程度ですが…。
場所は、私の育ったあたり…旭山に沿って流れる、裾花川の川沿いです。ここから見える風景は最高です…が仕事するには不向きです。
このあたりは、その昔から竜宮淵と呼ばれています。
裾花川の急な流れが旭山の堅い岩盤にぶつかって水の流れが渦を巻くことによって深い淵をつくるようです。
その昔…旭山をえぐるように流れる水の流れと深い淵は、まるで竜が泳いでいるようだ…という想像が産まれ、その想像は次の想像へとつながり、やがてこの淵はどこか異界に繋がっているのではないかとも考えられたのでしょう…。
この淵は竜が住んでいる淵…竜宮淵と呼ばれ、山の神と水の神が宿る場所となったのだと思います。
この淵の上手には水神社が祀られ、下流の町、妻科町の方々によって神社はいまも守られています。
私の新アトリエがある場所は、戦前から「竜宮鉱泉」という温泉宿があった場所で、かつてこのすぐ傍を「善白鉄道」という鉄道が通っていた頃には、この竜宮鉱泉にたくさんの人々が訪れていたそうです。
竜宮鉱泉は、その後、料亭へと変わりながらも続いていたのですが、昭和45年頃に起こった火事を期に閉鎖され現在に至ります。
私の父の話では、少し前までは今よりも大きく岩が淵にせり出していて淵ももっと広く、深かったらしく、夏になると、そのせり出した岩の上から、赤いふんどし姿の人たちが、竜宮淵に飛び込んで遊んでいたということです。
私も子供の頃に、淵の向こう側の洞窟のようになった場所に何度か泳いで渡ったことはありますが、岩の上から飛び込んだことはありませんでした。子ども頃にそれを知っていたらきっと飛び込んでいたでしょうけど…。
かつて、裾花川の流れはかつてここから1KMほど下流…長野県庁のあたりから東の方向に…現在の昭和通りの方向に流れながら、そこから何本にも分岐しながら最終的には自然に地中にしみ込み流れは消えていっていたそうです。
そうした川の流れですから、時折洪水となって門前まち周辺に大きな被害をもたらしたようですが、そのいっぽう、上流から肥沃な土を運び込まれたことでこの流れの先に田や畑がつくられるようになったはずです。
やがて洪水被害が起こらないように、裾花川の流れを人工的に変えつつ、以前の川の流れは農業用水路(善光寺平用水)として整備されます。昭和40年代に上流に巨大なダムが築かれて以降、門前まち周辺には大きな水害は殆ど起こらないようになりました。
私が小学生だった頃、魚つりが流行った時期があったようです…。
学校から帰って川に行くと、大人も子どももたくさんの人が釣りをしていました。いま、川で釣りをする人どころか川で人を見かけることは殆どありません。これも娯楽の変化だと言えばそれまでですが、こうして川の流れを殆ど見なくなった私たちの暮らしをあらためて思うと、私たちにとっての暮らしが便利で快適になればなるほどに、此処にしかない風土から私たちはどんどん遠ざかっているということに気が付きます。
竜宮淵を眺めていると、この風景こそが長野らしさ…この風土が門前町にとって欠かせないものなのかもしれない…と思います。
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