宮沢賢治が花巻農学校教諭を依願退職し、「羅須地人協会」を設立したのは、賢治が三十歳になる1926年(昭和元年)
郷土である岩手の疲弊した農村の全体の活力を向上をはかろうと考えた当時の賢治の思想は、「農民芸術概論綱要」で知ることができます。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」
「農民芸術概論綱要」の全ては知らなくとも、この一節を聞いたことがある人も多いでしょう。
「芸術概論」と記されていますから、確かにこれは賢治の芸術論であると捉えることもできるとは思います
…でも私は、ここで賢治が言わんとしている「芸術」とは、”現代に暮らす私たち思う芸術”とは異なるもの…芸術はこの世に於いて何をもたらすためにあるのか…、そこにあるものとしての芸術では無く、目で見たり手に取ることができないもの…芸術とは私たちの生命はすべてこの世という繋がりの網の目の上にあるということ…この世のあらゆる関係性を感じる為の術のことを言っているのだと思っています。
これはいわば宮沢賢治が「芸術」によって見ようとした世界観、言いかえれば、宗教観そのものであり、「芸術」とは存在するものでは無く、私である自分自身が宇宙の森羅万象と互いに響きあう為の心そのものである…ということを、「農民芸術概論綱要」をつうじて述べようとしているのだと理解しています。
「宇宙の森羅万象」…もちろん、私たち自身が宇宙の森羅万象の一つですが、この全体像を解明することはとても難しいこと、これを否定することはそれ以上に…いや全く不可能です。
宇宙の森羅万象…この世に存在する全ての繋がりそのものが私たちを生かしている生命の根源であると捉えていた賢治は、この芸術感覚を全ての人々が持つこと…取り戻すこと無くして、賢治が心象世界として描こうとした理想郷…イーハトーブは空想の世界を脱することはできないと考えていたのだと思います。
「イメージ」とは、今はまだここには存在しない空想世界かもしれません。…でも私は、イメージとは宇宙の森羅万象と繋がった時にしか現れないものだと思っています。
ようするに、真のイメージとは宇宙の森羅万象に呼応するはずのものであって、それはまた、自分以外の人の心もそうしたイメージに呼応して震えるということです。
「イメージの実現」とはこうした心の震動の重なりの結果でなくてはならないし、そうして実現したイメージは次のイメージに必ずや呼応するものだと思います。
賢治は友人宛の手紙の中で、「これからの宗教は芸術です。これからの芸術は宗教です。いくら字を並べても心にないものは てんで音の工合からちがう。頭が痛くなる。同じ痛くなるにしても無用に痛くなる。」と書いているそうです。
「心にないものは響かない…」
…あたりまえだけれど、そのとおりです。
私たちは誰しもが「心」を持っています。
そしてその心が何かに対して震えるという響きを感じる力も持っています。
この震えや震動を感じる瞬間を逃さないようにしたいと思います。
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