「美しい嘘」

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自分には無いものに対しての憧れや興味は、自分にとっての「いま・ここ」を知る為の手掛かりとなる。
自分には無い何か”に気付きそれに近づこうとする力は想像にとって必要な大きな力の一つであることは間違いない。

湿潤な大地に生れ育った自分が乾いた大地に魅了され続けるのは、自分の遺伝子の中にありながら未だ芽を出すことのない想像の種…のようなものがそれを必要としているからか。
乾いた大地の何かが私の遺伝子の奥底を震るわせ続ける。

パソコンの画面のその向こう側にあるトランシルバニアに想いを馳せる妻…そんな彼女を横目にする度、自分の脳裏にはイランの首都テヘランから遠く離れたシアダレ村が浮かびあがる。
未だこの足で立ったことの無い、自分の心の中に在り続ける乾いた大地…そこに私の遺伝子を震わす何かがある。
テヘランから遠く離れたクルド人の村…
イラン人映画監督アッバス・キアロスタミの『風が吹くまま』はこの村で撮影された。

映画の撮影地としての事実はあるにせよ、シアダレは私の心の中につくられた心象風景…実際のシアダレがどんなところであるのかはわからない。
けれどそれは自分にとってさほどの問題では無く、それがが映像の中に見た風景であろうとなかろうと、自分にとっての大切なものであることに違いない。
自分が感じている何か…私の奥底の何かを震わす何か…。
生命とは現象だけに反応するとは限らない。

私たちの心は時に嘘を必要とする…美しい嘘を。
私の心の奥底を震わす美しい嘘が時にクルド人の村シアダレであるように。

現象を解明する、あるいは事実や原因を究明することも時に必要であろう。
そうした努力によって救われる生命もある。
でもそれが必ずしも私たちの心にとっての安らぎに通じるとは限らない。
私たちの心はそれほど強く無い。
心は脆い…。
心にはもっと美しい嘘を見せてあげたいと思う。

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