「田んぼ」

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7月に始まる授業の打ち合わせも兼ねて、大町市八坂の田んぼの田植えのお手伝いに出かけた。
一昨年、この山村の古民家に暮らす友人宅でロケットストーブのワークショップを行って以来、度々この八坂の山村を訪ねるようになった。
そこに特別な何かがあるわけではない…友達家族が暮らし、そのまた友達もそこに暮らしているだけの、よくある山の暮らしがあるだけ…。
このあたりではあたりまえの山村ではあるが、不思議とそこを訪れる度に自分が少しだけ整理されるような気がする。

信州の山は急峻で深い。
昔はもっとたくさんの人々が山で暮らしていたとはいえ、いまもなお、これでもかと言わんばかりの山奥に人が暮らしていることに驚くことは多い。
ほんの少し前の時代まで…
日本の食料事情やエネルギー事情が山を必要とし、山で暮らす人々によってそうした需要が叶えられてきたことは事実。
それも山に人が暮らす理由ではあったとは思うけれど、あくまでもそれは社会という立ち位置から見た山の必要性だ。
言い換えればそれは、資源としての山であり、労働力としての山の暮らしという見方にすぎない…。
もちろんそう言った捉え方を間違いだとは言わないが、それにしても、かつてあれほどまでに急峻で深い山を切り開き、そこに暮らそうとした人々の意思が単に社会事情だけであったとは私には到底思えない…。
そこにはきっと、現代に生きる私たちが失ってしまった何か別の意思のようなものがあったような気もするが、その意思を現代に生きる私が想像することは難しい。
けれどそれを想像することこそが、いま私たちにとって極めて重要な意味を持っているのではないだろうかとも思う。

田植えに行った八坂の田んぼ…いまから40~50年前ぐらいまでは、その田んぼがある山の上から谷底まで一面の棚田が続いていたそうだ。
そうした棚田がわずかながら残っているその周りには、猪よけのフェンスが張り巡らされている。
去年八坂で出会った若い友人は、30年間休耕田だった田を起こし今年から稲づくりを始める。
そうすることで少しずつフェンスの位置が変わる。この山の棚田が増えてゆけばやがてフェンスがいらなくなる日が来るのかもしれない。

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