「移動可能性」

私がこうして書き連ねるのは、自分の中に点あるいはポイントが次々と現れ、増えるばかりで、そのポイントの間の繋がりの関係性が見出せていないから…。

自分が自分に出した宿題の山は、やってもやっても低くなる気配すら無い…。
ならばいっそ、何処までこの山を高くできるか…なんて考えだした途端、その山に埋もれてしまいそうになって、必死に手足をバタバタさせている。
これもまた自然(じねん)…か。
調子にのって自然を甘くみれば、その何千倍ものしっぺ返しを食らう…
ああ怖…
…まったく、私はいったい何をしているのだろう。

 

もうずっと、研究発表や論文とはまったく異なる、掴みどころの無い…フワフワとした自分の中に沸き起こる思考の断片を繋ぎあわせる作業が続いている。
そんな私の作業に結果的にお付き合いして頂いてしまっている方には心からの感謝。
しっくりくる言葉が探せないまま、とにかく美術家という生き方がしたいと言い続けるしか他に思い付かない不器用な私。
随分と多くの人に迷惑をかけながら いまここ を生きることができている。

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美術…とりわけ「彫刻」という立体造形表現がその入口だった私は、そのはじめから 『どんな素材で(何で)』 『何処につくるか』…が重要だと思ってきた。大筋、その認識はいまも変わってはいない。

あえて一般論として考えてみれば、「何をつくるか」という主題(テーマ)、「どうつくるか」という技術(テクニック)もまた大切とされるのだろうが、私はそれについてはさほどの重要性を感じていない…。

ある時期から、ここにあるもので、ここにつくりたい…と思うようになった私は、妻と二人、一軒の老朽化した借家を借り、その場所に植物を植えてみることにした。
それは、『どんな素材で(何で)』 『何処につくるか』という自分が自分に出した問いに答えるためにであると同時に、移動可能な美術・Artに対する自分なりの答えの導きかたであったのだと思う。

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『移動可能性』は、生命の継続にとって極めて重要な意味を持っている。
特に、植物のように大地に根を張ることによって生きていない 私たち人間をはじめ動物や鳥や魚や昆虫は、自らが移動することによって生命の維持に必要なエネルギーを得なければならない。逆を言えば、そうした生き物は、移動できなくなれば死ぬということだ。

 

「社会」が過去から現代へと向かうにあたり、「物の移動性」…物流の変化は社会全体を大きく変化させ、それにともなって、私たちのものごとに対する考え方をも大きく変化させた。

別の見方をすればこの変化とは、私たちの生命の維持・継続にとって必要なエネルギーそのものが変化したと言うことだ。

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かつて移動方法が限られ、制約されていた時代…日本においては江戸時代から明治初頭まで…

その時代にはそもそも美術という概念は無かったものの、社会のそこかしこに「美」は存在していた。
そうした「美」を、現代に生きる私たちは、「日本伝統美術」と呼んではいるが、そうした日本伝統美術の多くは「信仰」と密接に関係し、その多くが『移動不可能な美』であったと私は解釈している。

その初動が信仰心であったにせよ、人々が信仰を目的として自らが移動することによって、そこにある…そこにしか無い「美」に気付き、出会っていていたのではないか。
一見すればそれは、現代における美と…美術館となんら変わらないように思うかもしれないが、このなんら変わりないように感じてしまう変化こそが、現代社会へと至った最も大きな変化なのではないだろうか。
だからと言って、現代を否定するつもりは無いし、過去へと戻したいとも思ってはいない。
ただ、かつての「美の在り様」と「現代の美の在り様」が、『似て非なるもの』であることに気付けなければ、過去と現代は途切れたまま…繋がらないままだと私は思う…ただそれだけのことなのだが…。

「美」の在り様は大きく異なっていることは気付きづらい。

 

「美」は、私たちに表層に対してさほど大きな影響をもたらさない。
でもそれは、ただちに影響が無いだけなのではないか…。

「美」の在り様は、私たちの生命とどのように関係しているのか。
「美」とは何であるのかを伝える場づくり
どうせ宿題の山は低くならないのなら登れるぐらいの山にしてみたい…と思う。

 

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