「社会科 小僧」

肩書きを問われるたびに、その返答には躊躇がともなう。
肩書きを名乗らざるを得ない状況に追いこまれてから、しどろもどろになって相手を困らせるのも失礼だし…と、名刺を用意して肩書きを付けてみてはいるももの、「美術家…と言いますと、あれですか?絵を描かれるとか何か…」
…などと問い返えされたりする度に、なるほど肩書きとは、プールに入る前の準備運動のようなものなのかもしれない…と思う。
そうだとしても、はたして自分は、「美術家」と名乗っていて良いものだろうか…
疑問は以前残ったままではあるのだが…。

小学校の頃から社会科が好きだった。
弟とは歳が離れていたせいか、感覚的にはずっと一人っ子として育ってきたような気がしているが、そのせいもあるのだろうか…幼少の自分を思い出してみると、一人でいる記憶が多い。
体はけっして大きくは無かったけれど元気さだけは人一倍で、毎日暗くなるまでずっと友達とそこいらを走り回っていた自分は、おとなしく本を読んだり勉強するタイプではなかったし、本も勉強も基本的には嫌い…。でもなぜか、社会科で使う地図帳だけは大好きで、日本地図や世界地図を追いながら、この川は何処から流れてきているのか…とか、この街からこの街に行くには何処を通ってゆくのかとか…、ここの年間降水量はどのくらいなのか…と、家に帰ってからはいつも地図帳を眺めていた。
本が嫌いだった私だけれど、一冊だけ鮮明に記憶に残っている本がある。
『コンチキ号漂流記』…。当時は著者のことなど気にも止めてはいなかったけれど、ノルウェーの人類学者、海洋生物学者、探検家トール・ヘイエルダールが、筏(いかだ)船のコンティキ号でペルーのカヤオ港から南太平洋のツアモツ島までの4,300マイルの航海を行ったフィクションを、子供むけに書き下ろしたのがその本だった。

それは、小学校の4~5年生ぐらいか…いまにして思えば、自分の社会科好きは、コンチキ号の冒険物語から始まったのかもしれない。
当時、将来何になりたいか?…というおきまりの質問には、冒険家になりたいと言っていた自分…。
言うまでもなく、冒険にはその目的と目的地が必要だ。
あの頃…自分の冒険の目的地は、アマゾン川源流だった。
その理由は、日本から一番遠かったから…だけなのだが。

高校に入学してからは地図帳はまったく見なくなった…。
インターハイや国体にもでるような体育系の部活で疲れ果て、それどころでは無かったのも少なからずの理由ではあるけれど、結局はその部活からは逃げ出し、教科書は全て学校のロッカーの中に置き去りにして…授業をさぼって早退ばかり…勉強は、ほぼしない に等しかったけれど、倫理社会と美術だけは好きだった。
思春期…と言ってしまえばそれまでのことだけれど、言葉には言い表しづらい窮屈さを感じていた当時の自分としては、とにかく、長野から出なきゃ何も始まらない…そのためにはどうすれば良いか…だけをずっと考えていた高校時代。
結局のところ、なんだかわからないまま勉強するよりは美術の方がましだった…ということ。
あれから30年…自分は美術によって今に至る。

正直なところ、自分が躊躇しながらも「美術家」を名のっているのは、
一つは、自分の出発点がそこにあるから。
ここが振れてしまうと、自分が何処に向かって進んでいるのか…右も左も、いまもここもわからなくなってしまう…美術家という立ち位置は自分がこの世を生きる上での平衡感覚を保たせるものに近い。

そしてもう一つ…自分がこの社会に生きる上での役割を美術によって担いたいと思うから。言い換えればこれは、「美術には社会的な役割がある」…ということだ。
美術表現は、ありのままの現実や自然が持つ絶対的な美(自然美)をいかに表現するか…から、人間にとっての現実や感じる世界をいかに表現するか(芸術美)…へと変化してきた。
でもしかし、いくら美術家を名のる者が、現実を感じ表現したからと言っても、その作品が社会と切り離されてしまっていては、美術は社会の必要性にはなり得ない…。

自分が美術家であると知った相手から、「私は美術がわからないのですが…」と言われることは多い。
そうした状況は既に、美術がこの社会に於いて役割を担えていないという明確な証拠であることを美術家は認識できているだろうか。
美術家はこの社会的問題に対して真剣に向き直る必要性があるのではないか…。

美術にはつねに社会に対して問いかける姿勢が必要であるとは思うが、そのいっぽう、社会の側がその問いかけを受け止めるだけの力を育むことができなければ、美術は社会にとって不必要と判断されてしまっても仕方ない。

…とはいえ、現代の美術が抱えたこの難題…美術の社会的役割をどう担うかは極めて難しい問題だ。
所詮、自分一人が焦ってもどうにかなるような問題ではない…。

この難題を考える時、自分がかつて社会科が好きだったことを思い出す。
そして思う…。
「何をつくるのかでは無く、何処にどうやってつくるのか」こそが重要なのではないかと。
いま、社会が求めている美術は、人間にとっての現実や感じる世界をいかに表現するか…という芸術美には違いないが、それはきっと美術作品というよりは、社会そのものがより美的であることではないのか…。
そのためにはきっと、目には見えない社会という存在をありありと感じなければならないし、もっともっと対象に近づかなければ見えてはこない…。
それこそが、現代の美術にとっての役割…いや、自分がそうありたいと願う美術家としての在り方なのかもしれない。

10月19日(土)午後2時~
しののいまちの教室
「支えあうまち 繋がるまち」 授業コーディネイト
http://shinonoitowncampus.net/

10月26日(土)午後1時~
ロケットストーブワークショップ
『いろいろあっても共にあるきつづける』
白馬 「深山の雪」にて

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