縁があって、3・11の津波で家族(妻、次女、父)を失い、福島第一原発の事故によって原発がある福島県大熊町から、信州 白馬村へと避難してきた木村紀夫さんに出会った私たち(『たぁくらたぁ』編集部と私)は、木村さん家族(長女と愛犬)が暮らす、元ペンションだった建物を持続可能性ある宿にするためにどうすれば良いかについて話し始めることになった。
…とはいえ、これからここを宿として営業してゆくためには…、木村さん家族がこれからここでずっと暮らしてゆくためには、乗り越えなければならないたくさんの課題がある。
自然災害はいつどこで起こるかは誰にもわからない。
その意味からすれば、3.11の津波によって家族を失ってしまったことに胸が詰まる気持ちを抱くことはあれども、誰にでも起こり得る自然災害の前では、御気の毒様…としか言いようが無いのが現実だ。
しかしまた、3.11は福島第一原発事故が起こってしまった日でもある。
事故が起こるきっかけが地震と津波であったとは言え、間違えてはならないことは、福島第一原発事故は明らかに人が引き起こした事故であるということだ。
しかもこの事故はあの日いらい…現在もなおずっと続いている事故である点からすれば、自然災害とは全く異質の大災害であることを忘れてはならない。
発電事業主体者である東京電力、その事業を最終的に監督・指導する立場である国の責任は避けることのできないものであることはもちろんだが、だがしかし、この事故は原子力発電に頼った社会構造がゆえに起こってしまった事故であることからすれば、現代に生きる私たち全てに少なからずの責任があるのではないかと私は思う。
責任や原因の追求は必要なことではあるものの、そうしたことばかりが優先され、責任の擦りあいがくり返えされたり、放射能の危険性情報だけを飛び交わすのでは無く、この社会…「いま ここ」で起こっている事実に対して私たちみんなが目を背けず、互いが向き合い、これまでそれぞれ、いろいろあったとしても、これからを共にあるきつづけるという事実を如何にしてつくるか…。私たちみんなの責任として、原発が無くても暮らして行けるのだということを、暮らしをつうじて実行してゆくことこそが、3.11で逝った全ての「いのち」に対する私たちの返答であるのではないだろうか。
先週末…11月26日。
信州 白馬村落倉高原(栂池スキー場の下部)にある、木村さんがつくり始めた宿…「深山の雪」で開催された“ロケットストーブ ワークショップ”には、30名を越える人々が集まり、これからを共にあるきはじめることができた。
集まってくれた方々はもちろん、様々なかたちで「深山の雪」を応援して下さっている方々に心からの感謝。
世界人口の約半分…およそ30億人の人々は今も、生きるために必要なエネルギーをバイオマス燃料(木材、家畜の糞、農業残さ…など)に頼っている。
ロケットストーブとは、こうしたバイオマス燃料を燃やすことで発生する煙によって引き起こされる、深刻な健康被害(呼吸器障害や視角障害)を食い止める手立として1986年頃に考案された燃焼構造のこと(ストーブは英語で調理器具)
バイオマス燃料を燃やすことによって出る煙の中には、まだ燃える成分が残っている。この燃える成分を煙として捨てずに、もう一度燃やすことができれば、煙を減らすことができると同時に燃料を減らすこともできる。
このしくみを二次燃焼構造と呼ぶが、その一つがロケットストーブで、NGOが中心となって発展途上国の生活環境の改善策として用いられている。
しかし、この燃焼構造が考案され30年以上経ったいま…世界の状況はロケットストーブでは対応しきれないほどに悪化してしまっている。
赤道域の人口が激増、紛争が頻発し、難民が増え、貧困地域は拡大し、バイオマス燃料(木材は特に)は枯渇する。
もはやロケットストーブだけでは、こうした問題に追いつけない…。
太陽光を利用した様々なソーラークッカーが考案されたり、より効率的に燃料を燃やすための構造が世界中で実験、考案されてはいるけれど、問題の本質はまったく解決されていない。問題は、発展途上国だけの問題ではないはずだ…。
この世の生命は全て繋がりあっている。
だからと言って、この国で生きる私たちが全てバイオマス燃料に切り替える必要性があると言うことではない。
もっとも大きな問題は、そうした人々の暮らしとの関係性を見出すことができない社会構造そのもの。
繋がりあっている構造が見えなければ…、気付かなければ、考える必要性も改める必要性もない…。
そうやって、私たちの暮らしはあたかも何の問題も無く成立しているかに見えるようになってしまっている。
3.11
そして福島第一原発事故があってもなお…
残念ながら、私たちはこの社会構造がつくり出した幻想に気付くことができているとは言えない。想像をはるかに超える傷みを抱えてしまった人々が、声が枯れるまで叫んでみても、その声はかき消されてしまいがちだ。
それほどに大きな、目には見えない何かが私たちを覆ってしまっているのかもしれない…
それはいったい何か。
「深山の雪」
この宿づくりは、もう木村さん家族のためだけにあるのではないと私は思っている。
信州の北の隅…深い山、深い雪 の中で…
いろいろあっても 共にあるきつづけてみたいと思う。
◆お知らせ◆
11月23日(土祝)24日(日)を挟んだ、3日から4日
「深山の雪」の冬支度作業を行う予定です。
皆さまのご参加、ご協力を是非お願いいたします。
日程や作業内容など、詳細は追って告知致します。
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