「呪文」

2011 3.11の福島第一発電所での事故以来、原発を無くそうという動きが急速に活発化した。
自分は…と言えば、原子核の変換や核反応に伴って放出されるエネルギーは、それがどんな目的、方法であろうと、人類はそれを利用すべきでは無いと考えている。
やがて放射性物質を完全に除去できるような時代がきたとしても…。
その観点からすれば、核反応エネルギーを使用する原子力発電所も同様に反対の立場ではあるけれど、3.11の原発事故以降、活発化した「脱原発という思考性」が必ずしも持続可能社会へと向いてはいるわけではないとも思っている。

3.11以降、急速に活発化した脱原発という思考性はまた、原発から自然エネルギーへの転換という思考性を大幅に加速 拡大させた。
太陽光や太陽熱、水力、風力、バイオマス、地熱などを、「絶えず資源が補充されて枯渇することのないエネルギー」「利用する以上の速度で自然に再生するエネルギー」を 再生可能エネルギー(Renewable Energy)と呼ぶ。
自然エネルギーは再生可能で地球環境に対する負荷を減らす…果たしてそれは本当なのだろうか…。
この再生エネルギーの導入・促進しようとする動きは、そもそも石油に代わる代替エネルギー模索から、1994年に太陽光発電パネル設置に対する補助金制度が、1997年度には風力発電事業に対する補助金制度を通じて、国の政策として推し進められてきたもの…脱原発の声の高まりに応じて始まった政策ということでは無い…。

戦後日本の工業化を柱とした順調な経済発展は、1973年の第四次中東戦争に端を発したオイルショックにより急ブレーキが掛かかる。そして1974年、石油に代わる代替エネルギーを模索、原子力発電所、水力発電所、地熱発電所等の設置を促進するための、電源開発促進税制度が始まった。
これはようするに、安定したエネルギーの確保は安定した電源の確保に欠かせないということであり、エネルギー資源だけがあってもそれを電気にできなければ意味は無い…ということに近い。
エネルギーの安定=電気の安定=経済の発展・安定=国の発展・安定…という公式の重要性を国民全員に知らしめた…ということだろう。
この制度の導入によってこれ以降、石油に代わる代替エネルギーの中心は、原子力へと向かい、日本各地に原子力発電所がつくられてゆくことになるが、電気の安定=国の安定…という公式はそれ以外にもあらゆるエネルギーの可能性へと向けられてゆくことになる。
そうしたあらゆるエネルギーの可能性の一つが、再生可能エネルギー=自然エネルギーを活用したエネルギー政策だ。

太陽、水、風、土…自然は、私たちの生命にとって欠かすことのできない…いや、私たちの生命はそうした自然と一体であり、全ての自然という生命が私たちの生命と繋がりあうことによってこの世を生きている。
自然とは何かを言い表すことはとても難しいけれど、私たち人間もまた自然の一部であり、その一部が優位に立ちその他の自然が阻害されれば、そこには自ずと歪が生じることは明らかだ。
そういった観点からすれば、自然が持つエネルギーを私たちが必要とするエネルギーへと変換するにあたっては、全体としての持続性には細心の配慮が必要であり、それが石油や石炭などの化石燃料であれ、鉄鉱石であれ、ウランであれ、太陽光であれ、風力であれ、全て同じ。
しかし私たちはどこかで、太陽光、水力、風力…といった再生可能エネルギーが「自然」であり、自然エネルギー利用こそが正しい未来のありかだと思い込んではいないだろうか…。

2009年11月…民主党政権になってからわずか2ヶ月後、「固定価格買取制度」という法案が閣議決定された。
それまで、国の財政によって助成、普及させようとしてきた太陽光発電ではあったが、この法案によって、個人家庭に取り付けてた太陽光パネルによって発電され、使い残された電気を日本中の電気利用者が全て、¥42/1kwで買い取らされるというもの…「太陽光促進付加金」という形で、電気料金の使用料に応じて課金され徴収される。
さらに、あの2011年3月11日の午前中…「再生可能エネルギー特別措置法案」が閣議決定された。これは、個人の屋根に乗せられたパネル以外…売電目的に造られた太陽光発電所、風力発電、地熱、小水力発電、バイオマス発電…など、いわゆる再生可能エネルギーによって、発電された電気は全て、全ての電気利用者が向こう20年間に渡って全量を買い取る制度。
この制度上で勘違いしがちなのは、この電気を買い取るのは電気会社では無いということ…。
電力会社は、国に代わって、徴収・支払い等などの事務処理をしているにすぎず、再生可能エネルギー発電によって発電された電気を買い取るのは、電気利用者であり、さらに、大量の電気を使う企業は8割が割引かれ、その割引かれた分はそれ以外の利用者が二重に負担することになる。

こうした法制度によって、太陽光や風力をはじめとする再生可能エネルギー利用が普及、推進されてきていることには、なんとも言いようの無いやるせなさを感じるが、それよりなにより、私がこうした自然エネルギー利用で最も危惧するのは、その設備の設置方法と、その後表面化するであろう大量の有害廃棄物…発電ゴミの問題だ。
2013年度中には太陽光発電はドイツを抜くとまで言われるようになるいっぽう、パネルの耐久年数が過ぎる2030年頃になると、年間25万~70万トンのパネルが廃棄物になるとも言われている…。
いま現在の太陽光発電パネルの内部には、レアメタルやシリコン樹脂、その処理を誤れば、人体に影響を及ぼす「鉛」「カドミウム」などの重金属が含まれていて、それらを適切に分別、解体処理しなければ自然界に溶け出す可能性は極めて高い…。
先日、お会いした、ヤドカリハウスの山田征さんが、「済産業省 新エネルギー対策室」に問い合わせたところ、現在のところ、こうしたパネル類の後処理の方法は何一つ決まっていない…という回答があったという。

私たちは自然を言葉として理解しすぎるがあまり、自然に近づかなくなってしまった。そうした結果が、山間地の疲弊を招き、都市への人口集中や中山間地の過疎高齢化問題を加速させている。
「原発に代わる自然エネルギー」という呪文…。
私たちはいま何処に立っているのだろう…。
未来を何処に立って想像しているのだろうか。

 

 

八戸太陽光発電所(仮称)の完成予想図。
出典:三井不動産

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