「天邪鬼の気付き」

未だ、終息には程遠い状況にある福島第一原発事故。
原発施設そのものが抱えた問題もさることながら、目には見えない様々な問題が、福島周辺はもちろん世界中に拡散し続けている。
いま現在も懸命に事故処理作業にあたってくれている方々がいるおかげで私たちには今があることはもちろんのこと、擁護する気持ちはまったく持てないものの、東電も国も事故処理をしていないと言うのでもない。
ただ、世間にはもうずっと前から なんともやるせない気持ち が満ちていたことは確かで、そのやるせない気持ちの上にさらに、3・11そして福島第一原発事故がのしかかり、人々の心は四方八方にバラバラに砕け散ってしまった。
砕け散った心を如何に拾い集め、一つにすれば良いのか…私たちはこれからをどう生きるつもりなのかが問われている。

原発事故以降、私たちの暮らしに必要なエネルギーに対する危機感は高まり、原発に代わるエネルギーへの期待感は急速に高まった。しかし未だ、原発はこの国のエネルギー政策にとっての最重要性であり、国内の原発再稼働は必須であるという認識を変えようとしない政府のもと、原発から脱却したいと願う人々は、再生可能エネルギー政策の推進、自然エネルギーへの転換が必須であるという認識をより加速させている。

元来、天邪鬼な私 故か…。
どうにも、今に満ちているこの気配に胡散臭さを感じ、とは言え、その匂いのもとは何処にあるのかを見つけることができないまま悶々と、だがしかし、動き続けていなければ息もできずに死んでしまう鮫のような自分は、まあとにかく動いてさえいればそのうちに何かが解るだろうと思っていた。
…そして、きっかけは福島だった。
3・11の津波で家族を失い、福島県大熊町から信州白馬村へと非難してきた木村紀夫さんと知り合い、彼がつくろうとしている宿「深山の雪」で私にもできることがあるのではないかと考え始めた。
そもそもは、地元、長野市で編集発行されている雑誌、「たぁくらたあ」の編集長から話しを持ちかけられたことがきっかけだったのだけれど、その「たぁくらたあ」に自分が記事を書いた号を読んでいた時に、あれっ?…と気がついた。
東京三鷹市にあるヤドカリハウス主宰の山田征さんは、2009年に閣議決定された「固定価格買取制度」に従って設けられた「太陽光発電促進付加金」(当時東京電力管内では月2円)を支払わず、2011年10月の始めから、家の電気を切られ、それ以来2年間、電気無しの暮らしを続けているそうだ。

私は如何なる形ではあっても、人は原子力を利用すべきでは無いと思っている。
もしも仮に、明日、放射能が除去される方法を思いついたとしても…。
そして、いまのままの私たちが、加速の一途にある再生可能エネルギーの利用、自然エネルギーによる発電に転換したとしても、この社会につくられてしまった歪の本質は何も変わらない…。
否…、変わらないどころか、今以上、さらに歪は拡大してしまうと思っている。
私には、日々情報が飛び交うNEWテクノロジーのあれこれが良いとか悪いとかについて答えが出せない。
私が理解できるのは、薪が燃えると暖かいことぐらい…最近になってようやく、どうして木が燃えるのかが、少しだけ解るようになった。

私たちが今を、そしてこれからもここに生き続けるつもりであるならば、過去から現在まで、延々と引き継がれてきたもの、そうしたものの中にこそ本当の意味での持続可能なエネルギーがあると私は信じている。

参考

「時空間」

「呪文」

http://o-emu.net/tarkuratar/

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