「風土感覚」

暮らしを営む地域の自然と、そこに生きる人との間にある相互の関わりを再度見つめ直しながら、土地の特性や自然の持続性を損なわないような暮らし方をつくろうとする考え方を、生態(生命)地域主義[bioregionalism]と呼んでいる。

もう随分と前のこと…。
生態地域主義[bioregionalism] を知ったのは、アメリカの詩人 GarySnyderの、Turtle Island という詩集を手にしたことがきっかけだった。以来、 GarySnyderは、実に多くの気付きを私に与え続けてくれている。
その意味からすれば、自らを「生態地域主義者(bioregionalist)」だと語る、GarySnyderと同様、私もまた bioregionalist なのかもしれない。
Turtle Islandは、対訳「亀の島(Turtle Island)」として、G・スナイダーの親友であった詩人、故 ナナオ サカキ が翻訳している。

生態地域(bioregion)は、自治体や市町村など、行政上の区割りとは異なる、地理的、生態系的にみた地域。多くの生命地域は河川と、その支流が流れ込む流域を中心として広がり、そこには古くから、固有の文化が育まれ続けてきた。
それは、人間を中心に、その周辺も含めた地域の生存可能な条件を示す意味合いが強い「環境」とは似て非なるもの…。
人間だけでなく、生きとし生けるものすべてが、山や川、木や草というような自然も含めた、この世の全てが関係しあうことによって生きる暮らし という意味合いからすれば、日本に古くからある「風土」という感覚により近い。
年間をつうじて温暖な土地であったり、寒暖の差が大きな土地であったり、山間であったり、平地であったり…風土の違いはあれど、人はそこに風土を感じることができていたからこそ、生き続けてこれたはずだ。
そうした場所に文化は築かれる。
しかしいま、私たちは、風土に根ざした暮らしから遠ざかってしまった…
「生態地域」や「風土」という感覚はいま、急速に失われつつある気がする。

山村や僻地を中心に広がり続ける過疎高齢化、そうした状況に伴う山や森の荒廃のとは何であるのかを言い表すことは難しいけれど、私はその背景に横たわる最大の問題は、「風土感覚の喪失」なのではないかと思っている。
過疎も高齢化も、森や山の荒廃した状況も、それらはみな、環境問題を語っているにすぎない。問題の本質はそこに無いと私は思う。

…もちろん、私たちにとって環境は重要。
環境が整っていなければ、私たちはこの地球上に生きることすら難しい。
…でもしかし、
人間は環境だけで生きられるわけでは無い。
私たちは、温度や湿度が適正で、水や食料があれば生きられるというほど単純で無いのだ。
福島第一原発事故による環境の悪化は人類にとって極めて深刻な状況を招いてしまったことは事実ではあれ、そうした環境問題は、問題の表層に過ぎない。
私たちから生きる力を奪っているのは、環境の悪化では無く、大切な風土感覚と引き換えにつくってしまった原発によって、生命が脅かされているから…。
未だ解決の目処すら立たない深刻な状況であるにも関わらず、経済成長だの、国際競争力だのと言って現実を誤魔化し、事実を歪曲させてしまえるのは、風土感覚の壊滅的な喪失ゆえか…。

生態地域であれ、風土であれ、それはいずれも、自分と自分のまわりとの間に築かれる相互の関係性に連なるもの。
そうした関係性は“目には見えない何か”を自らが感じることによってのみ自覚できるものだ。
だから、生態地域とはどこなのか…とか、風土とは何なのか…と問われても、それに答え、それを伝えることはとても難しい。
だからこそ、暮らしを営む地域特有の自然環境を知ろうとする歩みには大きな可能性があると思う。
いまこそ私たちはその道を歩み始めなければならない時を生きている。

G・スナイダーは、地域の歴史や祖先の知恵に敬意を払いながら長期にわたる持続可能性を考えていくために、場所の感覚[sense of place]が欠かせないと言う。
そのためにはまた、地域の暮らしと自然環境との関わりについて自覚し、学び、歴史の中で分断されてしまっている、人と自然、人と人との関わりを再びつなぎ合わせながら住むという意味での、再定住[reinhabitation]の重要さを語る。
そうして育まれる感覚が、『風土感覚』であると私は思う。

私たちが生きてゆくためには、エネルギーの問題は大切だ。
けれど、エネルギー問題とて所詮、私たちにとっての「環境問題」に過ぎないのではないかと私は思う。
それより先に、私たちはこの流域で、どのように自然と関わりあいながら暮らしてきたのかを知らねばならないと思う。
いま目の前に深刻なエネルギー問題があるとしても、その問題は、風土感覚を持って、考え、捉えなければ、必ずやまた持続可能性を阻害する結果をもたらす気がしてならない…。
降り注ぐ太陽の熱や光は、私たちに、そして全ての自然に対して、等しく恵みを与え続けてきた…けっして他者を傷つけることは無く。
私たちはいま、その知恵を地域の歴史や祖先の知恵に敬意を払いながら学ぶ途上にある。
私たちには、山の匂いとは何であるのか…その匂いはどこからするのかすら解ってはいないのだ。

答えは、この流域が育む風土のそこかしこに隠されている…
だからまず、子供達と、大人たちと、もっともっと山を歩いてみたいと思う。

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