「土の匂い」

長野の何が良いか…という曖昧な質問に答えるとすれば、梅雨の季節の心地よさ と答えるのも良いのかもしれないと思う。

長野で生まれ育っていない妻は、ことあるごとに長野の湿度の低さに関心しつつ、この梅雨の季節になると日本から遠く離れた異国の地に想いを馳せる傾向が強い。
この梅雨の後に訪れる夏を思うと少々憂鬱になる自分は、彼女の話をぼんやりと聞きながら、スコットランド北部 ハイランドの大気を想像する。
今日はこれから松本まで、スコットランドの大気を感じに行ってこようと思う。
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私たちは誰も皆、大気に満たされている。
大気の構成要素…水分であったり、成分であったり、温度を測ることはできても、大気それ自体がほんとうは何であるのかは誰にもわからない。
唯一確かなことは、私たちはこの大気の中でしか生きられないということ…大気中の水分量、湿度の在り方がほんの少し違うだけで、私たちの意識は大きく揺れ動くということだけなのだ。
それはおそらく、私たち自身がこの地球をかたちづくるものと同じものによってできているから。
梅雨の時期の多湿状態を不快に感じるこはとはあっても、それは大気が地球の状態に呼応して起こる現象…私たち人間が安易に手を出すことはできないのだ。
東京で暮らしていたいた時に感じた、息苦しくなるほどの湿度は、あの広大で肥沃な関東の土と大きく関係している。
高温で多湿…食べ物が腐りやすいのは、土の生成に欠かすことのできない微生物が最も活発に生きられる環境がそこにあるということ。
その環境を阻害せず如何にその環境の中で生きてゆくか…そこにその土地独特の暮らし方が生まれ、食文化をはじめ、衣食住、多様な文化が形成される。

優先すべき環境は何であるのか…。
私たち人間の都合で環境基準をつくってしまっては、必ずや大気循環が阻害される。
いずれ私たちはこの大気中に生きられなくなってしまうのは明らかだ。
日本中、何処に言っても同じ温度と湿度によって管理された住環境では、文化は生まれない…育まれない。
文化とは土のことではないのか。

土はどうやったらつくられるのか…。
『美学創造舎マゼコゼ』の授業がまた一つ増えそうだ。

 

土の臭い

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