「火を焚く」

東京都国立市から長野市へと活動の拠点を移して5年。ようやく、ここがどんなところなのか…自分はいまここで何をすべきなのか…が薄っすらと見えてきたような気がしている。
それは、私たちの長野暮らしを支えてくれた人・もの・こと…多々ある中でも、私の意識の奥底に常にあリ続けているもの。
それとの関係性は、自分がここに暮らす為に欠かすことができないと思う。

「火」
ここでの暮らしの中で、「火」が繋いでくれたものはあまりにも多い。

如何に冬を生きるか。
ここに暮らすようになってから、一年とは冬が中心なのではないかと思うようになった。
私が冬好きだから だけではない。
四方を山に囲まれているここ。
山の神々と大きな関係があるのだと思う。

既に大都市と言っても過言では無い長野市街地に暮らすことに慣れてしまうと、冬も単なる一つの季節だと思ってしまいがちだ。
とは言えやはり、ここの冬は長い。

季節の長さとは、気温だとか、天候だとかでは無く、意識の中のあり続ける時間のこと。
10月の半ばあたりを過ぎれば、この街をとり囲む山の上には既に冬がある。
冬はあの向こうの山の上から降りてくるものだと誰もが知っている。
3月も半ばをすぎれば、冬はまたゆっくりと山の上へと戻ってゆく。
街中に暮らす人にとって冬は半年…山に近づけば近づくほど冬は長い…。
北の県境にある六月村は、その昔、6月も過ぎた頃になると次の冬を想ってお年寄りが泣き出すから六月村なのだと聞いたことがある…かつてその村の暮らしとは、冬を生きることそのものだったと言うことなのだろう。

火は、私たちがここで生きる為、冬を生きる為に欠かせないものであった。
それは同時に、山から降りてくる冬を迎え入れる為のものであったのだと私は思う。
ここに暮らす人々にとって、私たちの生命をも脅かす力を持つ冬は、神そのものであったはずだ…。
火とは、山の神々がもたらしてくれるもの…。
人々は山の木々を刈り、その木で火を焚き、冬を招き入れる。
火こそが私たちと山を繋ぐものなのだと思う。

長野は祇園祭り。
街を巡る屋台は山車(だし)と言う。
山車とは山を引く車…
山は神々。

【RIKI-TRIBAL S.A.W Workshop のお知らせ】

■第1回「燃焼哲学~火の力」
人間は火を用いることによって何を得たのか。失ったものがあるとすればそれは何か。火とは何であるのかを考えながら、暮らしに直結した燃焼を皆さんと共に考えます。
※座学(講義+ディスカッション)
7月18日(金)19時~21時
場所:美学創造舎マゼコゼ(長野市長門町)
料金:¥2,100(テキスト代、飲みもの代 込み)
定員10名

※ワークショップのご予約、問い合わせ、お申し込みは、リキトライバル(小池マサヒサ)までお願いします。
RIKI-TRIBAL S.A.W(リキトライバル S.A.W)
026-225-9380
rikitribal@yahoo.co.jp

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