「まぜこぜ」

 

カフェマゼコゼ管理人から、今月いっぱいで、マゼコゼは飲食店ではなくなるというお知らせをさせていただきました。
私と妻からすれば、元に戻るだけのことなのですが、長野に暮らし始めてから、マゼコゼという場所で繋がった皆様からすれば、マゼコゼがなくなる…という印象をお持ちになるのも当然かもしれません。
やはりあの場所では経営が難しいのね…なんて思う方も多いでしょうか。
確かに、経営からすれば、そもそも喫茶という営業形態で利益をあげるには、人通りの多い場所で、もしくは回転率を高めるしかないわけで、そういった意味か らすれば、人通りの少ない、しかも路地裏の喫茶営業で利益をあげるなんてことはまったく無謀であることは、変わり者を自覚する私たちであっても理解はして いたつもりです。
ようするに、私たちにとってカフェは目的ではなく手段であったということ。もちろん喫茶やカフェをその程度のものだと言うつもりはまったくありません。子供の頃、長野にたくさんあったカフェや喫茶店のようなお店がもっともっと増えてほしいと思います。

 

…で、思うわけです。私が思うそうしたカフェや喫茶店とは何であるのか と。
カフェとは何であるのか…については、長野に暮らすようになる以前からずっと考えてきたことです。
そもそもは、東京の西の郊外都市、国立市という街に長く暮らしながら、PlanterCottageという場所を運営してきたことに始まる場づくりが、東京から長野市へと暮らしの場を移したことをきっかけに「カフェ」になっただけ。
私たちにとって、カフェマゼコゼはPlanterCottageとなんら変わらない場づくり。そう考えると、そんな場づくりを気がつけばもう15年以上も続けてきたことになります。

 

「カフェとは飲食店という意味ではない」
これについて、PlanterCottageを運営している頃から、色々な人たちとずっと話したり考えたりしてきました。
ある時期は、吉祥寺のマンションの一室をコミュニティーカフェとして運営するメンバーになってみたり、ものづくりの人たちが集まる場を企画運営したり…と。カフェにとっての重要性とは何であるのかということを実践と体験からたくさん感じ考えてきたつもりです。
長野市に暮らすということを決めた時、それまで東京で実践したきた形態をそのまま始める気にはなれませんでした。
ここで生まれ育ったとは言え、25年以上の長い間、この街の変化を知らなかった私としては、そして、この街のことは何も知らない妻にしてみても、この街でいきなりPlanterCottageは始められない…。
まずは、自分たちがここがどんな場所であるのかを知らねばならないし、自分がここで何ができるのか、どう関わってゆけるのか、そしてここに来るまで何をしてきたのかについて知ってもらうためには、喫茶店という形態を用いるが最も良いのではないかと思って始めたこと。
PlanterCottageが東京での百葉箱であったように、まずは、ここ長野を知るための百葉箱をつくる。それが、カフェマゼコゼだったと言えます。

 

長野に暮らし始めて6年。マゼコゼを始めて5年半。
この間にカフェマゼコゼによってたくさんの「いま・ここ」を知ることができました。
昨年秋からは、それまで自分の中に留めていた、「美学創造舎マゼコゼ」の具体的な一歩として、マゼコゼ内の一部屋を片付け、小林野々子さんによる「造形教室つちくれ」も始まっています。

 

皆様のおかげで、ここ長野という場所がどんなところであるのかをたくさん感じながら、たくさんの素晴らしい仲間とも巡り会えている。
マゼコゼを訪れる人は確実に増えている。
そうした現状をあれこれ考えてみると、いつのまにか私たち自身が、カフェ=飲食店という認識に縛れていやしないか…それによって本来すべきことが疎かになりがちだということに気付き、考えた結果、飲食店としての機能は無くすと判断することに至りました。
これからは、「美学創造舎マゼコゼ」として、私たちが考えるカフェを実践したいと思っています。

 

来月よりマゼコゼは飲食店ではなくなりますが、今までと同じく、人が集い語り合える場であることに変わりありません。
ようやく、図書館&ギャラリーPlanterCottageとカフェマゼコゼが繋がれる時がきたのだと思っています。
すこしづつではありますが、書籍、古本の販売なども増やしてゆきたいと思っています。
今後ともどうぞ、マゼコゼをよろしくお願い致します。

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