「なぜ若者は田舎に向かうのか」 に想う

 

さる2月7日に中川村で開催された、信州自治体学会フォーラム
『人口減少時代の持続可能なまちづくりとは』
「なぜ若者は田舎に向かうのか」 に寄せて書いた文章を公開します。

 

「なぜ若者は田舎に向かうのか」 に想う

 

「なぜ若者は田舎に向かうのか」は、ここ最近の長野市暮らしで気になることの一つでもあるが、若者に限らず、「いまという時代」において人々がいわゆる田 舎に馳せる想いとは何なのか…は、私にとって、そして私が主宰する「美学創造舎マゼコゼ」が行う様々な活動にとっても重要な位置にある。

 

かつて若者は都会へ向かった。その時代にはきっと、「なぜ若者は都会に向かうのか」という討論があっただろう…そして私もそんな若者の一人だったのだ。
若者が都会に向かったことの何かしらが戦後日本の高経済度成長期を支え、都市は拡大の一途を辿り、大都市を中心とした様々な文化が生まれた。そうした先に 『いま』がある。そしてそのいま、若者が都会ではなく田舎に向かうという現象が目立つようになってはいるものの、「若者は都会に向かう」と「若者は田舎に 向かう」 という異なるベクトルであるかに感じる二つの方向性は共に『いま』と深く関係している。
この二つの方向性を繋がりとして捉えなければ、ことの本質はけっして見えてこない。

 

「都会」と「田舎」という相反する二つの言葉のインパクトが大きいがゆえ、風向きは変わり、都会から田舎へと風が吹き始めたのではないか…と期待する人の気持ちも理解できなくはない。
しかし、ことの本質は都会とか田舎とかではなく、若者でもなく、『向かう』の部分にあるのではないかと私は思うのだ。
現に、都会に向かう若者は減ってはいない。日本の総人口は減り始めてはいるものの、東京都の人口はいまだ増え続けている。
http://www.toukei.metro.tokyo.jp/juukiy/jy-index.htm

 

しかしいっぽう、地方に目を向けてみると、正確な調査結果は無いものの、都会から地方へ移住する若者は以前と比較して確実に増えている。
地方…いわゆる田舎では過疎高齢化に伴う人口減少問題が深刻さを増し、田舎から都市へと向かう人が増えるそのいっぽう、都市を離れ田舎へと向かう人々が増えることによって、人の入れ替わりが急速に起こっている。
しかしここで注目すべきは都市であるか田舎であるかではなく、人の意識が大きく二つに分かれ始めていること。

 

そもそも田舎も都会も具体的な場所を示すものではない。田舎とは都会から離れた土地であり、人口や住宅が疎で辺鄙な地域を指しているだけ。都市という概念に対する対比にすぎないのだ。
かつて日本が高度成長期を歩んでいた頃、「田舎」という言葉から連想されるイメージは、人によって多少の違いはあれど、遅れているとか、格好悪い、貧しい…などのイメージが強く、都会はその逆として意識されるものであった。
ところが最近になって、「田舎」のイメージは変化している。
既に多くの若者にとって、田舎はダサいものでも、遅れているものでもなく、生き方・暮らし方、そして考え方についての意識を象徴する言葉となり、都会だけ が進歩的であるという意味は薄れてきた。都会であれ田舎であれ、それぞれが持つイメージが急速に意識されはじめている。
この田舎に対するイメージの変容こそが、都市の若者が田舎に向かい始めている最大の理由だと私は思う。

しかしそうしたイメージの変化があるいっぽう、「田舎」に内在する「貧しさ」のイメージはさほど変わっていない。対する都会には「豊かさ」のイメージが依然として強いということだ。
都会から田舎へと向かう思考性が必ずしも貧しさを望んでいるということではないにしろ、都会の豊かさと比較すれば、「貧しさ」というイメージが未だ根強い 田舎へと向かう思考性を持つ人々は、少なくとも都会からイメージされる豊かさを望んではいない。豊かさを別のイメージとして捉えているはずだ。
それに対しておそらく、田舎から都会へと向かう思考性には、「都会的豊かさ」のイメージが強く関係している。
両者には大きな思考意識の違いがある。もちろん違いは単に違いであり、どちらが正解、どちらが不正解ということではないにしろ、「貧しさ・豊かさ」対するイメージの違いのように、思考意識の違いは、今後さらに増してゆくような気がする。
既に、「都市へ向かう思考」と「田舎へ向かう思考」の違いは地理・地形的な違いや、人口や住宅が疎で辺鄙な地域を指す概念ではなくなり、思考の中心軸に何 を据えるかの違いであり、これからの未来を生きるために必要なもの…のイメージの違いが、「田舎向き」と「都会向き」として現れるのだと私は捉えている。
だとすれば、「なぜ若者は田舎へと向かうのか」という質問に対しても、「田舎へと向かっている」からと言って、その思考意識が必ずしも「田舎向き」であるとは限らない…とも思うのだ。

 

現代社会が抱える様々な歪みは、「貧困」という姿となって現れている。
都会から田舎への気持ちがあろうとも、様々な理由で田舎へ向かえない人は大勢いるだろう。
これからの未来を想像すれば、都会の只中に田舎が必要になるかもしれない…既に都会に田舎はできはじめている。
都会に暮らしてはいても田舎の本質を理解し、都会の中に田舎を創造することは十分可能だと思う。
ようするに、都会であっても田舎はあるし、田舎が都会になってしまうことは十分にあり得るということ。

人は誰しもこの世に生まれた以上、基本的にはその一生が尽きるまでこの世を生き続けなければならない。
田舎であれ都会であれ、人が自らの一生を生きつづけるための場所を求めるのは生命の原則からして極めて当然の本能であり、それを正しいとか間違いとかという論点で語ることはできない。
この世の生命は例外なくすべてみな、なぜ生きるのかを本能的に感じながら生きつづけための場所を探し続けている。
思考意識からすれば、田舎と都会との間に明確な線を引くことは不可能になりつつあるいま…「田舎へ向かう」という意識を揺り動かすものとはいったい何であるのかについて、一人ひとりが真剣に考えねばならない時が来ていると思うのだ。

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