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我が家の中1の娘は、あるバンドに惚れ込んでいる。
きっかけは大好きな漫画家がそのバンドのアルバムジェケットを描いていたことだったような気がするが、間違っていたら怒られそうなのでこれ以上は言えない。
はるか昔…自分が中学生や高校生だった時代を思い起こせば、その時代は宙に浮いたような時代だったと思う。
急速に自我が形成されるこの時期、それは母船から酸素を送る管が着いたまま宇宙空間を泳ぐ宇宙飛行士のようなもの。時に邪魔だと感じるけれど、それを外してしまうわけにはゆかないこともわかっている。
親も学校も必要ではあると感じてはいるものの、その圏外には未だ遭遇したことのない未知の世界が広がっている。そこには自分が成長するために必要なものがあるのだけれどそれが何であるのかは自分だけにしかわからない…
それを直感として感じる時期なのだと思う。
娘が急速に成長してゆく様は、親として嬉しいものの、成長とはこういうものなんだな…という寂しさのようなものが無いとも言えない。
しかし、親と子の関係は、それ以外の人と人との関係とは少々異なるものだ。
仕事柄、子供に教えたり伝えたりするることも多いのだけれど、もはや娘には自分が直接教えることはできないと思っている。
思春期にありがちな、娘が父と話すことを嫌がるような状態はいまのところ感じてはいない(自分はそう思ってはいるけれど…)が、子だけが成長するのではなく、思春期の子を持つ親としての役割もまた変化し成長しなければならないのだと感じることが多くなった。
親とは自分では避けようの無い、否定しようの無い現実だと思う。
現実とは自分がこの世に根を張った土壌…そこが何処であれ、土壌はこの世のすべてと繋がっているのだ。
思春期に始まる人としてもっとも大きく急速に成長する時期とは、否が応でもその現実とは何であるのかを知り、自分の力で自分の生き方を切り開いてゆく時期だと思う。
だから、そんな成長期に入った娘にも、そして親である自分にとっても、よろしくお願いします。と言える何かが必要だ。
私は、それが表現であり、表現者であると思っている。
かつての自分もそうだった。
真の表現者に出会うことは人を何よりも勇気づけ、成長させる。
自由を教えることは何よりも難しい。
表現とはそのためにあると言っても言い過ぎではないだろう。
歌詞を「詞」じゃなくて、「詩」にもってゆける力…。
なるほど、娘がなぜあのバンドに惚れ込んでいるのかがわかるような気がする。
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