「ハレとケの建築」

 
日本の民俗学の祖とも言える柳田國男は、日本人の伝統的な世界観として「ハレとケ」という概念を見出したのだそうだ。
ハレ=晴れ あるいは 霽れ は、儀礼や祭、年中行事などの「非日常」を。ケ=褻は普段の生活である「日常」を表すもの。
柳田國男民俗学に対する個人的好き嫌いはともかく、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋…などなど、古くから民間で伝承されてきた有形、無形の行いに目を向ける民俗資料は、いまがどういったいまなのかを知り、次に何処へと向かうべきかを考えるためにとても重要だと思う。
 
民俗学をはじめて知ったのはいまはむかし、美術大学で民俗と民族の違いに気付かぬまま「民俗学」を履修したとき。
しかしこれといった華やかさのない、どこか淡々とした民俗学は当時の自分には退屈で、授業はさぼり気味。
結局、単位は落としてしまったものの、講義内容で唯一覚えているのが柳田國男の「ハレとケ」についてだった。
大学を卒業し、流されるままに美術の世界へと向かった自分だったが、20代も終わりに近づいた頃。
画廊や美術館は「ハレ」であり、そこに展示される作品もまたハレ…自分の興味はどうもハレでは無いような…自分の興味をしいて言うとしたら「ケの美」なのではないかと思うようになっていた。
現代と過去を比較して、かつての日本の方が良かっただとか、そうした日本を取り戻さねばならないとか言うつもりはまったくないけれど、暮らしにくさや生きづらさとして感じるもの…そういった、社会にいつの間にか生じる歪のようなもの…自分の興味はどうやらそこらあたりにあるということに気付きはじめたのがその頃だった。
 
「美」にはそうした歪を無くしたり、歪を別の何かへと変換することができるのではないのかと…。
華やかなハレの場に飾る美ではなく、日常と共にある美とは何なのか…
あれからこんなにも時は経ち、あの頃自分が探しはじめた「ケの美」は見つかったような気もするし、見つかっていないような気もするし。
 
「繋がり」が声高に叫ばれ、強調され、妙な連帯感を強いられる世の中に違和感を感じる自分。
経済優先・効率重視の社会が人と人の繋がりを希薄にさせた…だから繋がりは大切なのだと言ってしまうのは簡単だが、繋がるとはどういうことなのかの本質を捉えずしてのそれは、単に繋がり創出ビジネスなだけ。そのうちすぐに飽きがくる。
ビジネスを否定はしないけれど、ハレもケもないビジネスには自分は興味が向かない。
とは言え、ビジネスも社会における何らかの関係性であるとするならば、そうした関係性が生まれる根底には日本なら日本的な、アメリカならアメリカ的な世界観があるのかもしれない。
まぁそれも過去のビジネスに限ってのことかもしれないが。
ビジネスが単に効率重視の金集めだと思われてしまう理由は、伝統的な世界観が失われてしまった結果。
伝統的世界観は現代ビジネスに望まれていないと考えても良さそうだ。
 
面白さを見出だせることしかしたくない…というかできない自分が、いま面白いと思うことだけをしていたらなんとなく建築的な仕事のパーセンテージが増している。
そもそも自分が何に対して面白いと思うかを考えてみれば、そこにはいつだって「ケの美」が関係していることに気付く。
ものづくりであれ何であれ、想像し創造することは楽しい。
せっかくこの世に生まれてきたのならこの世を生きているとまざまざと感じたい。
そう思いながら生きる途上で様々な人に出会い、モノやコトに出会ってきた。そんないま、建築的な…と言ってしまうのは、自分が面白いと思う建築的なことと自分が面白いと思う美術の間の境界線が限りなく曖昧だから…。
ようするに自分にとっては建築であろうが美術であろうがどうでも良いこと。
印象派だろうが現代美術だろうが、木造伝統建築であろうがコンクリート建築であろうがどうでも良い。
自分にとっての興味はそこに「ケの美」はあるのかということなのだ。
 
柳田國男は日本人の伝統的な世界観を、儀礼や祭、年中行事など「非日常」である晴れ あるいは 霽れ=ハレ、普段の生活である「日常」を、褻=ケであるとした。
この概念を基に建築を見てみれば、神社やお寺はハレの象徴建築で、そういった建築に関わる人々、とくに大工職は「宮大工」。
その昔には無かったはずの図書館や病院、役所等、いわゆる公共建築と呼ばれるものも人が日常的に暮らすことと区別すればハレの建築と言えそうだ。
となると、これに対するケの建築は、人々の日常の暮らしが営まれる個人住宅ということになるのだろうか…。
否。自分はそうとは思えない。
 
住宅という使用目的からでは無く、それがつくられる目的性と普段の生活である「日常」との間にズレを感じる。
住宅を建てることによって生まれる経済循環が住宅産業と呼ばれるように、普段の生活の場である住宅建築が効率重視のビジネスの対象であることは否定できない。
もちろん、そこに住まう人もそれをつくる人も単に経済のことだけを考えているとは言えないにしろ、日本人の伝統的世界観を優先することは難しいだろうし、そもそも権力の象徴的な要素が薄い、人の暮らしの場である「家」に於いての「ケ」を考えれば、たとえそれがいつの時代であったとしても経済的効率は考えざるを得ないはずだ。
…となると、建築に「ケ」は存在するのか。
 
自分はそれは「家」のつくり方、つくられてゆく過程に「ケの建築」の姿があると思っている。
たとえば日本の原風景とも言える農村の風景。
そこにある家がどのようにつくられてきたのか想像してみる。

杣や杣氏が山の木を刈り、大工がそれを使って家をつくる。
時に村には大工職もいたかもしれないけれど、そうした家づくりの大部分は村人全員が何らかのかたちで携わったそうだ。
木を刈る。木を挽く。木を曳く。木を刻む。木を建てる…泥を練る。泥をぬる…。
そうした日常によってケの建物がつくられるのではないか。
 
いまはまだイメージするだけにすぎないけれど、いつの日か「ケ」の建物がつくってみたいと思うようになった。

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