「学び」

 
現在進行中の家づくりの為に必要な材料…デットストック材や古民家を解体して集めた古材、木舞壁に使う竹…などを、集めまくっていた倉庫を事情があって引き払わねばならなくなり、先日その搬出がようやく終わった。
早いところ家づくり作業を再開せねばなならい焦りがあるものの、いまのままじゃこれから使う予定の材料も取り出せない…。
 
10年程前まで元土木建築業者さんの資材置き場兼建設重機車庫だった倉庫を貸してもらった。
建築足場+単管+ブルーシートで被われた、水無し、電気無し、トイレ無し…どこから見ても、誰が見ても、危険な気配度満点の、まさにアジトと呼ぶにふさわしい倉庫内には、かつて使われていたのであろう道具やら部品やら建築資材の残材に加えて自分が運び込んだ材料でごった返している。
は〜〜〜いったい俺は毎日何をしているのだろう…とため息も出るけれど、せめて手を洗う水ぐらいは…と、発電機のエンジンを回し、水中ポンプを倉庫から少し下がった場所を流れる川に沈めると…
おーーー!!水が出たぁーーー!!!と、あたりまえなことなのに大喜び。
これがもし井戸水だったら、間違いなくお祭り騒ぎ。
でもおかげで、俄然ブルーシートアジトが素敵なところに見えてきた。
忘れてた。
水があるって、ほんとありがたい。
熊本や大分で地震があって、いまだってみんな困っているはずなのに、でも自分はこんなことすら忘れてた…。
 
今年、この倉庫がある町と同じ町にある「みんなの学校」という小さなフリースクールの一つの授業を月一回だけ受け持っている。
倉庫がある山間のその向こう側の、山間の谷間にある荒廃した棚田の跡地で子供たちと小屋をつくる。
小学校3年生にあたる歳の子から6年生にあたる子まで全部で9人。
倉庫の移動やら何やらで、既に大幅に遅れてしまっている進行中の家づくりのピッチはなんとしても上げなければならないけれど、この授業は今年の自分にとっての大切な課題。
それは昨年、事情があって行くことができなかったネパール支援とも関係している。
 
ネパールの大地震が起きてからちょうど一年。
政情不安定なネパールでは、地震後の復興はなかなか進まない。
ネパール地震の発生後すぐにネパール入りし、支援活動を行なった後、自分とネパールを繋いでくれた友人は、熊本での地震発生直後から支援活動を続けている。
自分の知識や経験が少しでも役立つのなら…。
昨年のネパール行きを断念してしばらくして、別の友人からネパールでの支援の相談をされているのだけれど一度その相談を聞いてもらえないだろうかと連絡があった。
東京の郊外でネパール料理店を営むネパール人の男性は、ネパールの2回目の大きな地震の震源地の近くの山間の町で生まれ育ったそうだ。
彼によると、現在も余震は頻繁に続いていて、人々の多くは石と土を積み重ねてつくられた家に暮らしていたものの、その殆どは地震によって崩れ、いまもテント生活を余儀なくされている人が多いそうだ。
加えて、ネパールでは昨年、新憲法が制定されて以来、政情が不安定なこともあり、地震後の復興は思うように進まず、貧しい人々が新しく家をつくることはとても難しいだろうという。
自分が生まれ育った村の人々のためにできることを考えた彼は、地震に強く、しかも安価でできる家づくりの方法がないだろうかと、設計士である私の友人に相談を持ちかけたそうだ。
そこにある素材で、できるか限り安価で、自分たちの手で家をつくるには…。
 
私はネパール人の彼から紹介されたカトマンドゥ在住の建築技師の人から情報をもらいながら準備を進めつつ、日本でネパールの現地と同じ素材を用いた実験棟をつくろうと思っている。

そこにある素材で、できる限り安価で、自分たちの手でつくる。
日本の子供たちと一緒にそれを考え、つくる。
そうやって世界を学べたらそれは素晴らしいのではないだろうか。
 
倉庫の残材の中で一番の厄介もの…
それは、チクチクするグラスウール断熱材の残材と、新建材という名の健建築材料…
その殆どがネパールの山間地では使われていないものたち。
倉庫の回りに広がる田んぼ眺めながら、ネパールを、九州を、そして子供たちが生きる未来を想像する。
 

※写真は、小屋建設予定地の棚田跡。
山からの滲み出し水でぬかるみが多く、少しでも乾くようにと掘った水路はすぐに小川のようになってしまう。
でもこれできっと土地は乾くはず。

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