自分がしたいことをする。
そこにあるのは自由か、孤独か。
「人の目なんか気にしないで、思うとおりに暮らしていればいいのさ」
世代という共通性が社会に何らかの影響を及ぼしているであろうことは否定できない。
とすれば、最初のテレビアニメ世代である自分世代には多かれ少なかれムーミンという共通性がある。
個性的な登場人物の中でもムーミンの親友のスナフキン(Snufkin)は、自由と孤独をこよなく愛し、ムーミン谷に冬が近づくとハーモニカを手に旅に出て、春の訪れとともにムーミン谷へと帰ってくる。
ムーミン物語が心の形成に大きく影響していると自認する自分にとってスナフキンは憧れ。
憧れが理想とする人やものに対して心引かれる状態だとすれば、自分はいまもスナフキンのように生きることができていないからこその憧れということか。
高度経済成長期という時代の中で生きることを強いられた自分たち世代にとってスナフキンの生き方、考え方はまさに時代に対するカウンターであり、別の言い方をすればそれは、「いまをどう生きているのか。これからをどう生きるのか」という問いそのものだと思う。
数年間に渡って取り組んでいた仕事から昨年ようやく手を離すことができたと同時に、自分に向かって怒涛のごとく流れ込んでくる何かを、自分の中に沸き起こる何かを感じているいま。
この感じ、忘れかけてた。
次の目標は何かと聞かれたりすることもあるけれど、スケジュール帳は持たない…持ったとしてもどうせ白紙の状態が続くだけの自分にとって、自分というスペック以上の予定や目標はメモリーを、自分の生きるエネルギーを著しく消費する。
周囲には迷惑を掛けっぱなしで申しわけないと思うこともあるけれど、でも、この世に存在するすべての生命と同様、自分にはいつ死ぬかを決める自由は無いのだから、せめて自分のこの先の予定を空白にする自由だけは無くしたくない。
だから小さな目標であれ大きな目標であれこの先の目標は持たないことにしようと思う。
「大切なのは、自分のしたいことを自分で知ってるってことだよ」
憧れのスナフキンのその言葉の意味がほんの少しだけわかったような気がする。
2018年1月3日 小雪 長野市にて
写真は、昨日の「小諸・茶房読書の森」
驚くほどの快晴。太陽光発電所の造成工事は確実に進んでいた。
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