1999年の3月から2012年5月末までの13年間。私たちは東京都国立市で、Plantercottage(プランターコテッジ)と名付けた場所を運営していました。
運営者である「私たち」とはその始まりこそ私と妻の2人でしたが、PlanterCottageとしての活動が終了する2012年にはこの場をつうじて繋がったたくさんの人々が私たちの中に加わっています。
プランターコテッジは、自分の中に沸き起こった、美・美術・あるいはArtにまつわる疑問から始まったことからすれば美術的でもあるかもしれませんが、それはまた建物であり、人が訪れ集う場所であることからすれば建築的であるとも言えます。
しかしそもそも、美術であるかどうかは自分にとってさしたる問題ではないと気付いたことによってPlanterCottageという試みが始まったことからすれば、それは「場の表現」であるとしか言いようのないものかもしれません。
作品をつくりたいという気持ちが薄れ、美術から遠ざかっていた自分の中に表現したいという気持があることに気付いたのは、クライミングのし過ぎで痛めた肘のリハビリと称して滞在していたフィリピン・パラワン島から日本へ戻ってまもなくのこと。
そこは、石灰岩の高い岩壁と透きとおった海、深いジャングルに囲まれた小さなまち。夜9時になると町中の電気が消え、焚き火の周りで夜遅くまで語らう人々の姿。夜中だというのにあちらこちらから聞こえる雄鶏の鳴き声。人の声と豚の叫び声が入り混じる夜明け…。
そこは自分にとって、時間と空間が途切れなく繋がりあっているということをまざまざと感じられる場所だったのです。
この世のありとあらゆる生命にはそれぞれが持つ時間があり、私たちは誰しもそうした生命が入り交じることによってつくられる時間と空間の中に生きています。しかし、それが自然の本質であるということを頭では理解できたとしても、時間と空間が途切れなく繋がりあっているという実感が薄れがちな社会。
あの場所では感じることができたあの感覚を自分が暮す場所でも感じるために表現するとしたらどうすれば良いのだろうか。
1999年の春、当時暮らしていた東京都国立市の住宅地の真只中にある築40年の木造平屋賃貸住宅を借り受け、賃貸契約終了時には元の状態に戻すことを条件に大家さんの了解をどうにか取り付けて、妻と二人で半年間、建物を全面改装することにしました。
目的は「植物の住処」をつくること。
植物が自然という意味では無いにしても、少なくとも自分が自然についてを理解するためには、少なくとも自分よりも自然を理解しているであろう存在、否応なく自然と関係しているであろう植物に自分からもっと近づく必要があると思った私は、自分たちが暮らすこの場所の自然さとはどういったものであるのかについて感じるために、まずは植物の住処をつくってみることにしたのです。
妻によってPlanterCottage(プランターコテッジ)と名付けられたそこには、始めこそ自分たちが植えた植物ではあったものの、気が付けばそこが建物であったかもわからないほどに生い茂るようになるにつれ、昆虫や鳥たちが植物に呼び寄せられるかのように、様々な人も
また様々な目的を抱えそこへと訪れるようになってゆきました。
東日本大震災の発生からしばらく経って、建物をお借りしていた大家さんから安全性を考慮した結果、建物を取り壊す旨を伝えられ、それから一年後、PlanterCotatgeという場づくりを終えました。
様々な人の様々な目的が交ざりあう場をつくる。
言葉にすればただそれだけのことですが、たくさんの生命が共生する場をつくること。そこには「美」が欠かすことができないということを感じ続けた13年間だったと思います。
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