ゴミ

課外講座の当日まで、これらのテーマに関連することについて少しだけふれてみたいと思います。
今回はその3回目。
ゴミとゴミをめぐる関係性について考えることは、私の判断や決断にとってとても大きな意味を持っています。
 
 
ゴミ
 
月の半分はアルバイト、残りの半分は有り金の殆どを作品制作に費やす生活。そんな生活が駆け出しの美術家にとってのあたりまえで、そんなあたりまえに慣れてしまっていた自分の中に、美術とは何か、美とは何か、美術家とはどんな生き方なのか、そもそも自分がつくりたいものは何なのかという疑問が沸き起こったのは、大学院在学中から続けていた、彫刻家・若林奮の作品制作アシスタントを辞めて数年が経った頃のこと。
その若林奮は1995年、東京都西多摩郡日の出町の森の谷間に計画されていた二ツ塚廃棄物広域処分場建設の予定地内にあるトラスト地の中に、詩人・吉増剛造によって「緑の森の一角獣座」と名付けられる、「庭」の様相を持った作品を制作することによって、その建設に反対であることの意思を表明します。
この廃棄物広域処分場建設の成り行きと、緑の森の一角獣座を巡る様々な出来事は、廃棄物をめぐる社会のあり方、そして、美術と社会との関係に対する重要な問題提起であったとは思いますが、私個人にとっては、それまで自分の中にあったはずの作品をつくりたいという気持ちが急激に薄れてゆくことに対する戸惑い、言い換えればそれは、自分は美術に対して何を期待していたのかという問いであり、そもそも自分は本当に美術作品がつくりたいのかという問いでもあり、なによりも、そうした問いに答えられない自分に気付くという意味でも大きな出来事であったと思います。

誤解を恐れずに言うとすれば私は、森で育つ木も、石も水も、緑の森の一角獣座も、そして私たちの暮らしから排出される廃棄物も、すべてはこの世に存在するものとして同等の価値があると思っています。
あるものを他のものよりも上位に位置づける理由となる性質が価値であるとはいえ、美術作品であることが廃棄物よりも上位であるという意味ではけっしてありません。
「緑の森の一角獣座」と呼ばれる美術作品の価値とは、私たちの暮らしとそこから排出される廃棄物との間にある目には見えない関係性に気付くためのもの。
若林はきっとあの森の一角につくった、石を積み上げたたけの椅子に座り、自分を取り囲む森の木々を見ながら、そこと自分との関係性について一人静かに、深く考えたかっただけではないかと私は思っています。

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