5月29日の 地球永住計画 ・ 課外講座 「アートを使いこなす力を育む場づくり」 では、おおよそ次のテーマに沿ってお話しする予定です。
1:美の所在
2:ゴミ
3:植物の棲家をつくる : Plantercottage(プランターコテッジ)
4:場をつくる
5:風土
6:そこにあるのもの、そこにある力でつくる : RocketStoves
課外講座 「アートを使いこなす力を育む場づくり」の前に、これらのテーマについて少しふれてみたいと思います。
美はどこにあるのか
自分の過去を振り返ってみれば、幾つもの偶然が重なった先に美術があったような気もします。でも、この世で起こることのすべては必ずどこかで繋がり関係している。私の美術との出会いもまた偶然ではなく何かが関係しているのだと思います。
その意味からすれば、私の人生をいまへと方向付ける印象的な出来事が無かったわけではありませんが、その出来事が「ハレ」の出来事(特別な、印象深い出来事)だとすれば、そのもう一方、「ケ」の出来事、例えば…
道路脇に咲く名も知れぬ花、校庭に寝転んで見た空の広がり、祭りに繰り出す人々の姿、運動会で応援する声の重なり…
そんな日常の何気ない出来事の連なりが、ある出来事をハレの出来事として深く印象付けているような気がします。
おそらく、そうした日常の何気ない出来事の中にある美の連なりが私の美術との出会いには大きく関係している。と同時に、人が物事について何を頼りに決断したり判断するのかを考えてみれば、こうした美の連なりが判断や決断に対してどのように関係しているのかはとても重要であり興味深いことだと思います。
私が美術家という生き方を選んだ最も大きな理由もそこにあります。
そうした美の連なりが私たちの生きる世界に調和をもたらしているのだとすれば、そうした美はどこにあるのか。私たちがそうした美がもたらす関係性に気付くためにはどうすれば良いのか。
それがいまの私の大きなテーマです。
美が存在するものでなく関係の中にあるのであれば、それについて人が気付き、共有するためには時間と空間が、そしてなによりも、時間と空間に人がどのように関わっているかが極めて重要です。
それが場所であり場づくりであり、そうしてつくられる関係性は美術として成立し得ると私は思っていますが、美が美術館にある芸術のように非日常の領域に特化するものではなく、専門家だけが理解できるものでない、世の中の調和や日常生活の中に心地良い関係性を育むものだとすれば、いま、そうした美が大きく不足していると思います。
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