講座では、おおよそ次のテーマに沿ってお話しする予定です。
1:美の所在
2:ゴミ
3:植物の棲家をつくる : Plantercottage(プランターコテッジ)
4:場をつくる
5:風土
6:そこにあるのもの、そこにある力でつくる : RocketStoves
課外講座の当日まで、これらのテーマに関連することについて書かせて頂いていますが、今回はその5回目 「風土」です。
風土
暮らしを営む地域の自然とそこに生きる人との間にある相互の関わりを再度見つめ直しながら、土地の特性や自然の持続性を損なわないような暮らし方をつくろうとする考え方を、生態(生命)地域主義[bioregionalism]と呼んでいます。
私がこの言葉を知ったきっかけは、アメリカの詩人 GarySnyderによる「対訳 亀の島(Turtle Island)」という詩集でした。この詩集を手にしたのは1993年。この詩集が1975年にピューリッツァー賞を受賞していることからすれば、私がそうした考え方があることを知るまでに約20年の隔たりがあったいうことになります。それはもちろん私の関心がそこへと向いていなかったからということなのですが、客観的に考えてみれば、その隔たりとは自分が10歳から30歳までの間の20年。戦後の日本経済が産業構造の転換によって高成長を実現した後、急激に失速した時代と重なります。
もちろん、生態(生命)地域主義[bioregionalism]という考え方を早くから知っていた人はたくさんいると思います。しかし、日々の暮らしの中でbioregionalismという考え方の必要性を実感できていた人はおそらくほんの僅かだったと思います。
生態地域は、自治体や市町村など行政上の区割りとは異なる、地理的、生態系的にみた地域を示し、多くの生命地域は河川とその支流が流れ込む流域を中心として広がっています。そこには古くから固有の文化が育まれ続けてきましたが、その在り方は人間を中心とする生存可能条件を示す意味合いが強い「環境」とは異なり、人間だけでなく、山や川、木や草、鳥や動物も含めた、生きとし生けるものすべてが互いに関係しあっているという意味からすれば、日本に古くからある「風土」という感覚により近いと思います。
年間をつうじて温暖な土地であったり、寒暖の差が大きな土地であったり、山間であったり、平地であったりと、風土の違いはあれど人はそこに風土の特徴を感じ取れていたからこそ生き続けてこられた。そして文化はそうした風土の上に育まれるものであるはずです。
私はいま、長野県長野市に暮らしています。
ここが自然環境に恵まれているは嘘ではありませんが、千曲川流域に広がる盆地を中心としたここは、千曲川へと流れこむ多くの支流で育まれた固有の文化の集積地でもあるのです。しかし過去20〜30年、そうした支流域の過疎化や高齢化が著しく進んでしまったことによって、支流域の文化の多くは既に継続できなくなっています。
人口だけを数えれば中核都市人口を抱える長野市ではあっても、支流域の文化が途絶えてしまえば、支流が流れ込む流域都市の文化もやがては途絶えてしまうでしょう。
少なくとも、美術が文化の一端を担うものであるのなら、「風土によって育まれる美」について真剣に考えなければならないのではないかと思います。
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