このところ時間的に余裕がなくて、FBへの投稿を優先することが多くなってしまってはいるけれど、FBの性質を考えればタイムラインとして流れ去らないBlogへの投稿はあらためて大切だと思うこの頃。

以下は、2年前に美学創造舎マゼコゼBlogに投稿した記事に加筆と修正。
 
 
「溝」
 
Artは難しい…、あるいは理解し難いものとして捉えられがちなのは、英語であるArtと日本語である美術・芸術との間の溝に理由があると思っている。
それは、美術や芸術がArtとは異なるものと言うことではなく、溝とはArtと芸術あるいは美術との違いのこと。
なぜArtは芸術であり美術なのか…そこにこそ溝の本質があるはずなのに、残念ながらこの溝は、Artや芸術・美術を理解し難いものとして遠ざける理由とされてしまっているのが現状だ。
 
明治初頭、西洋文明が怒涛のごとく日本に押し寄せたと同時に、それまでの日本語にはなかった多くの訳語が必要とされた。
Artの訳語である藝術、それに続く美術は、そこに充てられた日本語で、それ以前の日本には藝術(その後の芸術)という言葉も美術という言葉もなかったのだ。
このことこそが現代の芸術・美術にとって最も重要であるはずなのに、この重要性を無いがしろにしたまま、芸術・美術のArt化ばかりしているようではArtと芸術・美術の間の溝はこの先もずっと、人々にとって理解し難いものとしての溝にしかならないと思う。
 
明治時代初頭に起こった文明開化という急激な変化があったからこその現代。
歴史とは基本的に否定も肯定もできないものだけれど、言語の歴史に絞って考えてみると、本来、言語とは風土を礎とした風習や習慣と直結しているものであり、異なる風土の言語を翻訳するというこはとても困難なこと。言語とは文化そのものであり、訳語はその後の文化形成に大きく影響すると同時に、遠い未来にも影響しかねない危険をも孕んでいるということを、訳語の作成に関わった人々であれば当然のこととして理解していただろう。

Artのみならず、欧米列強の圧倒的な力の中には言葉に集約された西洋の概念も含まれる。言葉には当然その基となる哲学があり文化がある。
当時の日本がそういった西洋の力に押し切られることなく日本としてのアイデンティティーを保ち続けるためには、例えばArtに対して、はいわかりました…と簡単に新しい言葉をつくって受け入れてしまうわけにはいかなかったはずであり、西洋から入ってくる言葉に対しする日本語としての理解を逆に西洋に指し示す必要が絶対にあったはずだ。
 
日本的思考体系と言ってしまうと、太平洋戦争に至った軍国主義的思考をイメージするのが大方であり、事実その後の日本は、天皇制を柱とする軍国主義的思考体系に基づく国民国家を確立していったのだが、自分が思う日本的思考体系とは、国家としての思考とは違う、それよりもはるか以前から…、例えば縄文の時代から脈々と息づいてきたような、この風土に生きることによって育まれてきた身体感覚的思考体系と言うべきか。
これについてはとても長くなるのでこれ以上は書かないことにするけれど、人が本当の意味で自由で平等に生きるには、自立した思考が必要で、その為には風土に直結した言語の習得が極めて重要な鍵を握っていると自分は思っている。
 
明治時代、数多くの西洋からの言葉を日本語に置き換えた人々のことを自分は殆ど知らない。
しかしそうした人々は、日本語という言語で思考し続けることがこの風土に生き続けてきた日本人としての自由性、独立性にとって如何に重要であるかを解っていたからこそ、西洋概念を日本語として表現しようとしていたのだと思う。
しかし残念ながら、現代に生きる私たちはそのことの重大さについて殆ど考えることがない。
 
英語をはじめとして外国語習得の重要性は今後益々増すであろうし、そうした言語を用いることは何ら間違ったことでは無い。
けれど、自分の言葉を知ること。その言葉で考え、会話することは、自立した思考の育みにとって何よりも大切なことだと思う。

Artと芸術との間にある溝。
それは互いについて知るためにある。
Artはけっして難しいものではないと自分は思っている。

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