無自覚

「無自覚」
 
それが明らかな差別であると思ったとしても、差別とは何かについてを明確に定義付けられない以上、差別であるか区別であるかを客観的に判断することは難しい。
とは言え、「差別されることによって存在を否定されてしまっている人がいる」という事実がこの世にあることは誰もが認識できているはずで、それなのに、いじめや虐待を無くすことができないのは、差別に向き合おうとせず、それがあることを知りながら、面倒に巻き込まれたくないとか、知らなかったことにして差別から目を逸らし、あわよくば、その差別そのものをなかったことにしてしまおうとする無自覚な差別意識があたりまえのように世間に蔓延しているからだと思う。
そういう自分自身どうなのかと問われれば、同じようにその空気感に覆われた社会の中で生きている以上、その問に対して私は違うと断言することはできない。
その意味からすれば、自分もまた無自覚な差別主義者ということなのかもしれない。
 
自分にとって美術とは職業というよりも自分が選んだ生き方に近い。
しかし自分がそうやって生きてみて判ったことは、この生き方とは自分の無自覚さ、弱さ、を思い知るということでもあり、そこには華やかさもなければ格好良さもないということ。
生きるほどに、この世の無常さを感じないわけにはいかないし、自分にはその無常さに対して何もできないという現実に打ち拉がれる。
それを思えば、これほどまでに職業選択の自由が許されているこの世の中で、ほんとうは自らが美術を生き方として選んだのではないのかもしれない。
これもまた自然。
自分はこれからもこうして生きるのかという問いかけがループする。
  
ある日、いつも見るサイトの過去記事を何気なく眺めていると、
映画『にくのひと』監督・満若勇咲が追う現代の部落差別① 長野市で発生し、長年にわたってある一家を苦しめている隣人部落差別事件。
という、まるでサスペンスドラマのタイトルのような記事に目がとまった。
いったいこれはどういうことだ…。自分がずっと気にしてはいるものの、どうやったらそれに触れられるのか判らないまま、半ば封印してしまった…部落差別。
それを追う者がいる、自分が暮らすここで。
 
1986年生まれの満若勇咲(みつわかゆうさく)氏は、大阪芸術大学芸術学部映像学科3年に在学中だった2007年、ドキュメンタリー映画「にくのひと」を制作する。
そのきっかけは、高校時代からの4年間、牛丼チェーン店・吉野家でアルバイトをしていた彼が、「牛が肉になるまでを1回も見たことがないことにひっかかっていたから」だったそうだが、そんな軽い気持ちでスタートしたものの、取材交渉のために屠場に連絡してもなかなか上手くいかない。
「食肉産業にまつわる歴史的な背景を考えると当たり前なんですけど、当時はそんなことさえ知らなかった」と言う彼は、牛が肉になるまでを撮りたいだけなのに部落問題とか言われて鬱陶しいな…と思っていたそうだ。
 
まったくなんという度胸だろうか。若さゆえ…と言ってしまえばそれだけのことかもしれないが、部落問題が簡単な気持ちでは触れられない奥深い社会問題であることを認識していたとしたら、そもそも屠場を撮影しようという大胆な発想そのものが浮かばなかったはずだ。
それを考えれば、知識や経験は表現の可能性を縮小させると言えるのかもしれない。
ただ、自分がこの記事を読んでもっとも注目したことは、「表現は成長しようとする人を最低限保護しつつ、社会の一員として成長させる有効な手段となり得る」ということ。
彼は、この作品をつうじて社会という無常さをまざまざと感じつつ、結果として完成した映画の一般公開を断念するという苦渋の決断をしながらも、社会と自分とをしっかりと結びつけている。
美術であれ映画であれ、表現の目的性はここにこそある。
 
あなたはなぜこうやって生きるのか…。
その問に答えることは難しい。
だから、他人の答案用紙を覗き見するかのように、自分に向けられた問いかけを逆に自分がしてみたくなる人のことが気になるのだ。
 
生き方とは自分が選ぶものであるとは限らない。
それと向き合うことになってしまったその人に私は興味惹かれている。

https://www.vice.com/jp/article/d3egaw/yusaku-mitsuwaka-buraku?fbclid=IwAR1KNgcRExSB4gk8edFgrpVIxUb_slIOJMLg6BbCfwJiUre0uLZmcG6ZY2o

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