空気

美学創造舎マゼコゼBlogの5年前の投稿を読み返しつつ、あれから5年、世間の社会に対する無関心さが増し、あの頃よりもさらに重苦しい気配に覆われてしまっている気がしてならない…。
投稿には修正と加筆あり。
 
 
「空気」
 
いわゆる「就職」を経験することも無しに、この歳まで生きてきてしまった。
…なので、就職という言葉を聞いても、正直なところそれがどういったことで、何を意味するのかがわからない…そのことからすれば自分は一般的ではないし普通ではないしKYなのかもしれない。
就職するのが一般的で、普通や正常という言葉に何の違和感すら感じない空気が満ちているこの世の中で、空気を読めず…読まず…あるいは読みすぎの私と、ニートや引きこもりと言われる人々との間にさほどの違いは無い。
 
ニートは、
Not in Education,Employment or Training,を略した用語だそうだが、ここ最近は、ニートよりも『引きこもり』という用語の方が多用される傾向にある。
日本におけるニートや引きこもりは、15歳~35歳(最近では15〜39歳?)までの若年無業者とされ、その算出方法は、15歳~34歳の非労働力人口…就労していない人口の中から学生と専業主婦を除き、求職活動に至っていない者と定義しているそうだが、いわゆる「家事手伝い」は、現在の定義ではニートに含まれない。また失業者のうち、正社員及び派遣社員での就労を希望する者であれば、たとえ無業者であっても、具体的な求職活動に至っていない場合でも「ニート」には分類されない。
だがその一方、アルバイト及びパートタイマーなど一部非正規雇用での就労希望者の場合、就労を希望する無業者のうち、求職活動に至っていない者であれば「ニート」、具体的な求職活動に至っている者であれば「フリーター」に分類される。
『引きこもり』は、仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて自宅にひきこもっている状態。時々は買い物などで外出することもあるという場合も「ひきこもり」に含めるとしている。
内閣府の調査(平成25年現在)によると、15~34歳の若年無業者は63万人,15~34歳人口に占める割合は2.3%。フリーターは180万人,15~34歳人口に占める割合は6.6%。引きこもりは、69.6万人

※平成30年度版 子供・若者白書(2019年6月現在の最新版)
https://www8.cao.go.jp/…/whitepaper/h30honpen/pdf_index.html
15~39歳の若年無業者は71万人,15歳〜39歳の人口に占める割合は2.1%
 
 
こういったいかにもお役人的でおざなりな定義を目にするたびに、腹の奥でむかつきを感じるのは、自分もかつてこういった定義によってやれニートだの、やれフリーターだのと分類されながら、真夜中のネズミーランドを徹夜で徘徊していたドブネズミだったからだろうか。
確かに、就職はせず求職活動さえしなかった自分だから、定義上は元ニート、元フリーター…ということになる。
就職しないことを言い訳するつもりも弁護するつもりも無いけれど、正しい安定した働き方はこういう働き方ですとばかりの空気なんて糞食らえだと吠えたところで疲れるだけだし、世間のおざなりな定義が助長されるだけ。
重苦しい空気が世の中に満ちていることを知った。
だからこそ、世間に満ちるこうした重苦しい空気をはね退けるだけの勇気と知恵を持ちたいと思ってきた。
強くなる…この世の中はもっとずっと大きくて広い。
 
就職しない、正規雇用されない、組織に属さないということは、何の束縛も受けない代わりに、何の後ろ盾も持たないということでもあるが、組織に属していないからといって、この世をたった一人だけで生きなければならないと言うことでも無い。
ただしそういった生き方は、身の丈以上に自分を大きく見せることはできない生き方ということか。
 
社会学者の土井隆義は、著書「友達地獄-『空気を読む』世代のサバイバル」(ちくま新書 2008年)で、誰からも傷つけられたくないし、傷つけたくもない。そういう繊細な「優しさ」が、いまの若い世代の生きづらさを生んでいる と述べ、そうした関係性を「優しい関係」と呼ぶ。
他人と衝突することを避け、自分の態度を決めるには、絶えず他人の出方を伺わずにはいられない。でも、そこには誰もいない…他人とは、いわゆる「空気」のことなのだ。
空気がどの方向に向かっているかを絶えず察知しつつ、自分をその方向に合わせることに全精力を注ぐあまり、自分の考えをもとに行動することに躊躇してしまう。
…もはや、そうした「優しい関係」は、若い世代に限らない。
 
空気が読めない…読まない人々は、区別され、排除され、社会は益々優しい関係という空気で満たされてゆく…そこにできる空気感。
権力で民衆を抑え込み従わせるような独裁体制はこういった空気感の下で大きく成長する。
ファシズムは単に強権的な政党や独裁者がもたらすのではなく、社会の空気感こそがつくり出すものだと私は思う。
 
全体という空気感に満たされた社会から無業者と呼ばれ区別され、排除されるニートや引きこもり、そしてフリーター。
そんな社会は、そうした15歳~35歳までの若年無業者を区別するに飽きたらず、幼い子どもにまで、空気を察することを強いている。
多動性、不注意、衝動性といった行動を特徴とする発達障害もしくは行動障害と呼ばれる、「注意欠陥・多動性障害…ADHD」や、「アスペルガー症候群」と呼ばれる状態は、まさに社会を満たす「空気」との関係性に於いて判断されることからすれば、それが障害であるかどうかの判断は、極めて慎重を期すべきだ。
そもそもこうした症状が障害であるかどうかという判断は、人権、人としての尊厳に関わる重大な問題であり、軽率な、誤った判断は暴力にも成りかねないことを忘れるべきではないと思う。
 
社会のおかしさを感じ、気付き、声をあげることはけっして間違ってはいない。
社会を覆い尽くそうとする空気感に対して、我慢なんかしなくていい…息苦しいと声を出すことこそが、ファシズムをはねのける。
 
こんな糞ったれの世の中であっても生きてやる。
大丈夫。一緒に強くなろう。

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