「俯瞰」

「俯瞰」

ある日、ゆらゆらと立ち上る蚊取り線香の煙りを眺めていた時、煙の動きは想像力によってのみ掴むことができると思った。
手に取って触れることのできる蚊取り線香は自分が生きるこの世の広がり。手を伸ばし掴もうとしても掴めない煙はこの世の時間。
いま・ここ を俯瞰して眺めるとは、時間軸に沿って地層のように積層する歴史と空間の広がりが交錯する場に現れる。
私たちの屋号であるRIKI-TRIBALのロゴマークはそうした俯瞰する姿をイメージしたもの。

かつて、太平洋戦争の終結したその日を境に、歴史は戦前と戦後に分けられると同時に、日本人の意識もまた戦後意識へと急速に変化した。
この意識変化こそがその後の驚異的な日本経済発展の時代をつくりだしたことは否定できないものの、あれから70年以上が過ぎたいまに生きる日本人の大半は、もはや戦後意識を持っていない。
しかし、あの時、なぜあれほどまで急に戦後意識が国民に浸透したのかの中にこそ、現代である「いま・ここ」が抱える生きづらさの本質がある気がしてならない。
そして自分は、そのことについて考える時、一人の画家のことを思い出す。

藤田嗣治(ふじたつぐはる)、エコール・ド・パリを代表する日本生まれのフランスの画家。
1886年(明治19年)東京牛込(現在の新宿区)に生まれた藤田は、戦後、1955年、フランス国籍を取得し、その後、日本国籍を抹消している。藤田についての記述が日本生まれのフランスの画家と表記されるのはそれが直接の理由だが、藤田がフランス国籍を取得し日本国籍を抹消したことと、日本人の戦後意識との間の関係性の中に、いま、私たちがすべきことが見えてくる気がする。

藤田嗣治の没後50年の昨年2018年。その初期作品から晩年までの画業を追う過去最大規模の展覧会「没後50年 藤田嗣治展」が上野・東京都美術館で開催された。
美術好きであればその名前は一度ぐらいは聞いたことがあるであろう藤田嗣治ではあるが、フランスでは国から勲章を授与されるほどの著名人であるにも関わらず、日本では一般的にその名はあまり知られていない。しかし、藤田没後50年が経過し、これまであまり日本では語られることのなかった藤田嗣治を紹介する動きが増している。
その理由として考えられることの一つは、日本人の美術に対する関心が薄れているいま、日本美術の停滞感を打破する期待からかもしれない。
しかし、自分が藤田嗣治に注目する理由はそこではなく、当時の日本社会との関係性について語るためには没後50年という長い時間が必要だったという部分にある。

藤田嗣治は、第一次近衛文麿内閣によって「国家総動員法」が発動された1938年から日本がアメリカとの太平洋戦争に敗戦する1945年までの間に戦意高揚を目的として軍部から画家に対して依頼された「戦争記録画」を多数描いている。
日本軍の劣勢が濃厚になりつつあった1943年。藤田が描いた「アッツ島玉砕」が東京府美術館 (現在の東京都美術館) で公開された際、絵の前に賽銭箱が置かれ、絵を見に来た人々は賽銭箱に小銭を投げ入れ、手を合わせた。その度に絵の横にいた軍服姿の藤田は頭を下げてお辞儀していたとも言われている。

1945年、日本の敗戦と同時に、戦争=タブーであるという戦後意識が急速につくられていく過程で、藤田を始めとする戦争画を描いた画家達は厳しい批判にさらされることになる。
そうした批判が日本美術史における藤田に対する評価として定着してしまったことは否めないが、藤田と日本の美術界との溝が深まった何よりもの理由は、日本の敗戦という現実、そしてそれと共に生じた戦後意識にこそあると思う。
藤田をはじめとした戦争記録画を描いた画家としての責任は重く免れようが無いとは思うものの、戦後日本社会は戦争記録画を描いた画家達の責任を追求し、批判し、結果としてその責任を画家たちに押し付けることによって、戦後意識を急速に高めてゆけたかに感じるのは自分だけなのだろうか。
敗戦によって生じた「戦争はタブー」という意識があらゆるところに飛び火し、それによって「タブーの領域」は拡大しつつ戦後意識が醸成されてゆく中で、語るべきことを語ることが許されない、寝た子を起こすな的な空気感を伴いつつ戦後意識を持った日本の価値観がつくられてきたものの、その価値観はいま、大きく揺らいでいることは確かだと思う。

日本人の美術に対する関心の薄れ。日本美術の停滞感。
そうした現状を打破するための最も有効な手段は、戦争記録画をタブーなものとせずに、社会が踏み込んでそのことについての検証を始めることではないだろうか。
そうした勇気こそが、本当の意味での戦争責任の果たし方の一つではないかと自分は思っている。

《自画像》1929年 東京国立近代美術館蔵
© Fondation Foujita / ADAGP, Paris &
JASPAR, Tokyo, 2017 E2833

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