「再定住(reinhabitation)」

25年以上暮らした東京から、家族と共に、自分が生まれ育った長野市へと移り住んで11回目の夏のはじまりの日曜日。
諸用があって、かつて暮らしていた東京、国立市へと向かった。
JR国立駅前ロータリーから一直線に伸びる大学通りと名付けられた通りの両側には、市民が大切に守っている桜の木が、太い緑のベルト地帯をつくる。生い茂る枝葉の影が歩道をすっぽりと覆い、照りつける夏の太陽の陽を遮っていた。
現在では、東京の中でも貴重な自然であり景観ともなっているこの街並みの始まりは、1923(大正12)年、関東大震災がおこった翌年に、西部鉄道グループのデベロッパーであった箱根土地(株)が武蔵野の森、100万坪を切り開いた大規模な都市開発によるものだった。
学園都市構想と呼ばれた、大学を中心に置いた都市開発は戦後、国立市の隣りである立川市に米軍基地が置かれたことと関係する、教育環境を守るための、市民や学生を中心とした「文教地区指定運動」によって、昭和27年に東京で初となる「文教地区」の指定を受けたこともあり、今もなお、ここに暮らす住民の環境に対する関心度は高いと言えそうだ。

かつて、東京と関係することよって生きることが、自分のモチベーションであったことは否定できない。
東京に、とりわけ国立市に暮らすことによって起こった様々な気付きは、今の自分にとってとても重要であり、そうした気付きが起こっていなければ、いまこうして、自分が生まれ育った長野市に家族と共に暮らすことは無かったかもしれない。
あらためてそう考えてみれば、自分のモチベーションはいまも変わらず、そこにあるのではないかとも思う。

自分にとって東京とは、定住するとは何かという意識をもたらした場所であり、自分が何処にいようと持ち歩けるスケールのようなものだと思っている。
それは、東京という尺度で測ったり判断したりするという意味ではなく、人がその土地と関係しながら暮らすためには、土地の何処をどう見れば良いのかというきっかけに近いもの。
そいった意味からすれば、自分がいま用いているスケールは、自分がいま暮らす長野でつくられたものではなく、間違いなくそれは、東京で、国立市に暮らすことによって出来たものであると思うのだ。

自分はそれを使って「いま・ここ」を知りながら生きている。
そこに生じる意識は、定住という意識とは少し異なる、『再定住』という意識だと思っている。
自分が暮らす場所に根付き、土地との関わり合いを常に意識しながら住むという意味での「再定住(reinhabitation)」という意識は、自分の住所地のような物理的な一か所の場所に限らず、常に、どこにいようとも更新することができる意識。
地域が持つ自然環境や、人間の生活とその自然環境とのかかわりを自覚し、自分の住む地域の特徴についてよく学ぶことによって、歴史の中で切断されてきた人と自然、人と人とのかかわりを再びつなぎ合わせようとすることがなによりも大切だ。
思考的に多大な影響を受けているアメリカの詩人、G・スナイダー(Gary Snyder)は、地域の歴史や祖先の知恵に敬意を払いながら長期にわたる持続可能性を考えていくための「場所の感覚(sense of place)」の重要性を伝えているが、その感覚もまた、再定住という意識と共に育まれるものであることは間違いない。

「定住」で思い出すのは、ジプシーとも呼ばれるロマ(Roma)の人々。
その起源は幾つか考えられるそうだが、一説によると西暦1000年頃にインドのラージャスターン地方から、おそらくは何らかの社会的抑圧から逃れようとして放浪の旅に出たロマ(Roma)は、伝統的に、鍛冶屋、金属加工、工芸品、旅芸人、占い師、薬草販売等に従事しながら、現在もなお多くの人が、北部アフリカや中東欧を移動しながら移動生活をしている。
しかしそれゆえに、定住を前提とした社会構造から外れてしまいがちなロマに対する差別は根深く、ヨーロッパ諸国ではロマという存在が様々な深刻な社会問題を引き起こしているそうだ。

自分はもちろん、ロマの人々のような過酷さを経験していないものの、考えてみれば、生まれ育った場所を出て、東京に暮らしながら必要に応じて移動を繰り返しながら生活することによって、再定住という意識に気付いたことを考えれば、それに気付いた場所を離れ、実際には自分が生まれ育った場所に暮らしているとはいえ、それは単にUターンという言葉では表しきれない、再定住と考える方が正確である気がする。
そもそも、自分の中には生まれ育った場所であったからと言って、その場所に対して定住という感覚を持っていなかったのだから。

いま、長野市に限らず過疎化、高齢化など様々な要因によって地方都市の人口は大幅に減少しつつある。
行政による対策をはじめ、今後の過疎化によって起こり得る問題に対処しようとする取り組みは多々あるけれど、歴史の中で切断されてきた人と自然、人と人とのかかわりを再びつなぎ合わせようとする意識の育みこそが大切。
そうして育まれる場所の感覚と「再定住」という意識についてを、多くの人の間で自由に対話する場と機会が求められている。

「Safe Journey」 (1993)
the vagabond journey of Gypsy
https://www.youtube.com/watch?v=J3zQl3d0HFE

Indian Rajasthan Gypsy dance
https://www.youtube.com/watch?v=rCunGo798_c

“「再定住(reinhabitation)」” への1件のコメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です