先の選挙では、インターネットをつうじたSNSが一定程度の力があることが証明されたとも言えそうだ。
しかしそれは同時に、情報拡散力が高いがゆえの弊害はさらに増したということでもある。ネット詐欺と言われるような犯罪は今後ますます巧妙化するだろうし、社会の様々が電子化、AI化されてゆくであろうことは避けられない現実を考えれば、情報リテラシー格差がそのまま社会格差へと以降してゆく状況は十分予想することができる。
つい先日、友人のラインIDが乗っ取られ、繋がっている同じく自分の友人がプリペイドカードを用いた詐欺被害にあってしまった。
ネット利用におけるリテラシー不足と言えば、それは間違いではないにしても、こうした詐欺は、人と人との信頼関係を悪用する極めて卑劣な犯罪だ。
SNSで流れる情報は、ネットでは共有されていると思いがちで、直接会った人との間で同じ話題が交わされることは少ない。だからこそネット上では簡単に何でも言えるし、それゆえのSNSの拡散力だとは思うけれど、こうしたネットの中の世界と現実の世界との明確な区別が、卑劣な犯罪を加速させる。
なので、こんな面倒臭い自分の投稿についての質問や意見は、現実社会であれば幾らでも対応致しますので、なんなりとどうぞ。
この被害の原因と経過はさておき、インターネットリテラシーをはじめ、社会が要求する様々な平均に対応し切れないという状況が弱者を生むといった現実を見せつけられる子どもたちからすれば、「平均以下=貧乏」→貧乏は嫌という思いが生るじることは否定できない事実だと思う。
そうした子どもたちが、そうした現実を少しでも良くするために自分にできることは頑張って勉強することであると思ったとしても、それには多くのお金が必要であると見せ付けられる現実社会。
社会的弱者同士が助けあう姿を見せられる子供たちからすれば、その姿を否定こそできないけれど、こうした助け合いがいくらあったとしても、社会の歪はまったく解消されないまま、富裕層と貧困層の間の差は増々広がってゆくといった状況の中では、「結局、良い人は損をする…」という思考が生じるのは当然なのかもしれない。
そこでは「人のことなどかまっていられない」という思考が増大し、人は孤立し、結果、社会の繋がりは何も見えなくなってゆくのだと思う。
「自分は大学の時に民青に勧誘されて「中国やソ連の核兵器は防衛のためだから正義。アメリカの核兵器は悪」と聞いたときにこいつらアホだと思いました。」
…
これを読んで、これはまさにあの頃の自分ではないかと思って笑えた。
いまでこそ言ってしまえるけれど、自分は20代だった頃の殆どの選挙に行っていない。思い出せるのはアントニオ猪木が政界進出をした時ぐらいしか…。
あの頃の自分を思えば、現在の若者がなぜ政治に無関心なのかがなんとなくわかる気もするし、簡単に選挙に行けとは言えない。
でも、自分のその後が正しいと言うつもりはないけれど、あの頃、バブル経済が破綻したことによって、はじめて社会と美術、それと自分との関係を考えざるを得なくなったこと。そうした悩みの途上で出会った多くの人との会話によって、自分と政治とは無関係では無いと実感していったことを思い出せば、自分に生じた悩みと、その悩みを共有することができた色々な仲間が、自分が必要とする場と機会を与えてくれた思っている。
だから、来る大学受験に直面し、現実を前に悩む娘には、悩みを与えてくれてありがとうという感謝しかない。
自分たちが運営する図書館ギャラリーマゼコゼは、長野市街地の西の山際、善光寺の門前町にある。
自分たちがここに暮らしはじめたのは今から11年前。その当時から住民は高齢化し、子供の数が減っていたこのあたりでは、予想はできていたことであったとは言え、既に多くの方が亡くなり、そうした方々が暮らしていた古い住宅が、ここ最近になって多くが取り壊され始めている…。
以前、長野に暮らし始めて間もない頃だったか。県立大学の地域社会学の先生から聞いた話しでは、善光寺を中心に広がっていった長野市街地は現在、長野駅を中心とした商業地と郊外へと暮らしの中心が移ってはいるものの、この状態は今後20年〜30年の間に逆転し、人口の減少と共に人は郊外から、善光寺を中心とした場所へと戻ってくることになる。最終的(50年〜100年後)には、いまから100年前と同じ都市状況に戻ることになるが、これは社会学的に考えれば避けれれない事実であり、かなりの確立でこうした状況は現実化すると言うことだった。
「それは山間部でも同じことが言えるのか」という自分からの質問に対しては、それは今後、日本人がどういった未来を想像するかによって異なる結果が予想されるので、今はわからないかな…」と。
マゼコゼには多様な人が訪れてくれるけれど、中でも、過疎化・高齢化した山間部に移住して暮らしている人々が大勢いる。
彼ら彼女らの多くは、かつて大都市圏に暮らしていた人が多く、子供を育てる環境として、そこを選択して移住してきた人が多い。
善光寺門前町は、かつて善光寺参りで全国から訪れる人が多かったことに加え、長野市の西側に広がる山間地の入り口であったことから、「西山(にしやま)」と呼ばれる山間地で生産された農産物や木材、炭などの生活必需品が売買される地として栄えたという歴史がある。
現代の社会状況を考えれば、今後またこの町にそうした需要が訪れることは想像し難いが、マゼコゼと関係する人たち、あえて山間部に暮らすことを選択した友人たちを中心として、これからの未来をどう想像するのか、それを如何に実現しようとするのかは、善光寺門前町の今後のみならず、日本全国のこれからの未来に生きる子どもたちにとって極めて重要なことだとあらためて強く思う。
リンクシエアするからと言って、この記事内容に賛同しているということではありませんが…。 ?????? 何言ってんの?? の部分には共感してしまいました。
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