ランニングマン

現代社会システムがこれほどまでに脆弱であるということが露呈してしまったいまという時代。人々は危険を実感することのないまま、現代社会システムが発する危険信号を盲目的に受け入れているかに見える。巨大で複雑な社会システムは既に現代社会に生きる者にとっての最も重要な生命維持装置となってしまっている以上、少なくともこのシステムが完全にダウンして機能しなくなってしまうことだけは避けなくてはならないということか…。もはやシステムが正しいとか正しくないかよりも、それから危険が発せられているからには、システムの修正プログラムをおとなしく受け入れざるを得ないというのが現在の状況なのかもしれない。まだ出会う人の少ない早朝。散歩を急かす彼(犬)と私の横をマスクを付けて颯爽と走り抜けるランニングマンの存在こそが、脆弱さを抱えながらも生命維持装置たる現代社会システムをダウンさせないための必要要件なのかもしれない。…そんなことを思いながら立ち止まろうとする私を引っ張り、右に左へと周囲の匂いを嗅ぐことに必死な彼にとっては、こうして毎朝この世の匂いを嗅ぐことこそが、彼の生命を維持するうえで極めて重要なことであり、彼はそうすることでこの世との関係を確認しているに違いない。自分はこの世が発しているであろう匂いの多くを嗅ぎ分けることができなくなってしまっている。彼は自分よりもずっと、この世と直接繋がっているのだ。

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