「種を撒く」

家族の生活と自らの活動拠点を東京都から長野市へと移したのは11年前。娘が生まれたことがきっかけとなって、頭の片隅では東京を離れることについていつも考えてはいたものの、東京という強力な引力圏から離れることは容易なことではなくて、結局は娘の成長を考えての移住…という最終手段を使って半ば強引に、娘の小学校入学式の直前に引っ越した。ぞの娘はこの春から東京の大学へと進学する。

当時、自分たちは東京の西側の国立市に暮らしつつ、Artと社会、ものづくりと社会との関係性をあれこれ模索するための拠点として、PlanterCottageと名付けた場所をつくっていた最中。私たち家族の移住はこのPlanterCottageという場と、その場をつうじて繋がった仲間の理解と協力がなかったらけっして実現できてはいなかった。だから自分の行動はいまもずっとPlantercottageという場と繋がっている。

日々、場をつくり続けること、使い続けることによって自分がいま求めているものの方から自分へと近づいてくる感覚というものがある。自分は農家ではないし何の作物も育ててはいないけれど、農家の多くが兼ね備えている、空気中の水分量や風向きの変化によって天候が変わる気配を感じ取り対応する力とはまさにそうした場によってのみ育まれる感覚だ。場の感覚は人がこの世に生きるだめの、人が自然と共に生きるために最も必要とされる感覚だと思う…。

太平洋赤道域の中部から東部に見られる海洋表層の温度が低くなるラニーニャ現象は少なくとも冬の間は継続する可能性が高いと見られていた今年の冬。ここ数年の暖冬傾向が一転して寒くなるという予想以上に、日本海側の広範囲の地域が記録的な降雪に見舞われている。日本の冬の天候とは基本的に、陸地よりも温度の高い日本海上の湿った空気が上昇し、上空の寒気によって冷やされ風に乗って山際へと運ばれて山の麓に雪を落とす。雪となった後の乾いた冷たい空気は山を超えて太平洋側へと運ばれる。ところが今年の冬の特徴は、暖かな海に近い都市部に大量の雪を降らせてしまっていることから、雪に対する備えの薄い、海辺に近い都市が大きなダメージを受けている。

人間の力など自然の力にはまったく敵わないにも関わらず、人はいつしかその力を過信しするがあまり自然を敵として捉えるようになってしまったのか。雪の重さすら現実に感じることない都市の仕組み、危険を回避する情報と安心安全の保証に頼り切ってしまっている現代社会。その情報は目の前の雪を避けてはくれないし、保証が雪を溶かしてはくれるのではない。自分がその重さを感じた分だけ雪を避けることができるのだ。自らの生命もまた自然であるという感覚。この世のありとあらゆる生命が自然との関係の中でしか存在できないという感覚。いま社会を覆いつくそうとしている戸惑いや不安を打ち消してくれるのは溢れる情報などではなく、自然の中に生き、自然と共存しようとする自分自身の中にこそある。そのことを今年の冬と雪は教えようとしてくれている気がしてならない…。

家族の生活と自らの活動拠点を長野市へと移してから12年回目の冬。ようやく長野も良いところだなって思うようになったよ…と言う娘。東京のPlanterCottageが長野に来てからMAZEKOZEになって、そこで収穫した種をそろそろ次の場所に撒いてみようかと思っている。これもまた美術家という不治の病ゆえ…。自らの生命もまた自然であり、この世のありとあらゆる生命が自然との関係の中でしか存在できないという感覚。その感覚を共に感じることができる場には必ずや美が存在する。今年、そんな場をつくるために種を撒く。

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