「The Sense of Wonder」

アメリカの海洋生物学者・作家のレイチェル・カーソンが1956年に雑誌Woman’s Home Companionに「あなたの子どもに驚異の目をみはらせよう」と題して掲載されていた記事を、彼女の死後、その死を惜しんだ友人らがまとめ出版されたエッセイのタイトルがThe Sense of Wonderレイチェル・カーソン自身はSense of Wonderとは「神秘や不思議さに目を見はる感性」だと綴っている。

いわゆる名言と言われる言葉は大概興味ないけれど、もう随分と前に、the Sense of Wonderをはじめて読んだ時に感じた、言葉が放つ自然さのような感覚は今もずっと残っていて、その言葉は自分が道に迷いそうになった時の道標のような気がしている。

すぐ目の前の車が突然見えなくなるような風と雪が吹き荒れる道を走りながら森のようちえんへと向かう途中、the Sense of Wonderにあったフレーズを思い出していた。It is not half so important to know as to feel.「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。それはきっと、この道の先にはきっと自分が探しているものがあるということか。

新潟県上越市にある森のようちえんてくてくは、「NPO法人緑とくらしの学校」が運営するようちえん。・3歳児から5歳児までの野外幼児教育活動・保育・月に1回の森のようちえん(土曜日幼児教室)を行っている。2006年に開園した野外幼児教育 森のようちえんてくてくにやって来る子供たちは、一日の大半を森の中ですごす。http://www.green-life-school.or.jp/

2015年。かつて市営保育園だった施設を上越市より購入し、修繕・一部増築し新しい拠点として開所。冬の間は深い雪に覆われてしまう森ですごすことが難しくなるため、子供たちはここへとやって来る。自分とてくてくとの関係は、この園舎にロケットストーブ式のヒーターをつくることで始まった。http://www.green-life-school.or.jp/facility/facility03/そのてくてくが上越市の認可園となり、これに伴って園舎の一部改修の必要からロケットストーブヒーターの位置もまた変更が必要になり、ちょうど不具合もあったロケットストーブヒーターをあらためてつくり直すことになった。と言いつつ、自分が抱え込んでしまっていた諸々の仕事の都合によって、ストーブ制作は年が明けた2日になってから。強い寒波の影響を心配ししつつ、正月休み中のスタッフにもお手伝いしてもらいながらの作業だったけれど、心配していた日本海沿岸部への豪雪の影響は予想を超え、園舎までの道路が雪で埋まってしまって一時中断。先週は、一昨年の長野市での台風災害の時にできた災害支援チーム、チームSHIROの仲間も駆けつけてくれて除雪作業を行って、今週からは園児たちに見守られながら作業を再開した。

その後、ロケットストーブヒーターをつくってからの5年間は、森のようちえん てくてく へとへを訪れる機会はなかったけれど、「いま」というタイミングにまたここに関われたことは自分にとってはとても重要な出来事であり必然すら感じている。

社会は未だ新型コロナに翻弄される日々が続いていて、それはそれとして心配ではあるものの、正直なところ自分は「神秘さや不思議さに目を見はる感性が失われつつあるいま」のことの方がより深刻だと思っていて、おそらく社会のいまの状況とはそのことと深く関係しているとも思っている。経済とは言わば社会を動かすために必要な燃料であり食物のようなもの。それが無ければ社会は動くことができないのは確かだとは思うけれど、人にとっての免疫が病に対する自己防御機能だとして、社会にとっての免疫に値するものは何かについて考えれば、自分はそれこそがSense of Wonderによって育まれる、美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などと言った、様々な人の感情の集積なのではないかと思うのだ。

社会がコロナ禍にあると言われるいま。新型コロナに感染するこによって生じる健康被害とは別に、社会に渦巻く様々な不安要素もまた人の健康を大きく阻害する。社会とは人の集合体だとすれば、原因がウイルスであろが何であろうが、人の多くが健康を害すれば社会もまた病んでゆく…。It is our misfortune that for most of us that clear-eyed vision, that true instinct for what is beautiful and awe-inspiring, is dimmed and even lost before we reach adulthood. 残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまう。確かに…、レイチェル・カーソンがこう語るように、この社会に生きながら子供から大人へと成長する中で、 Sense of Wonderを保ち続けることは簡単なことではないと思う。だからこそ子供たちに生まれつきそなわっているSense of Wonderをいつも新鮮にたもちつづけることが重要だという言葉についてもそのとおりだとは思う…。

自分がこの社会に何とか生きることができているのは、自分の中にはかろうじてSense of Wonderが保たれているからだと思ってはいるものの、いまはそれを、いままで以上に大切にしなければ、この社会に生きることはできなくなってしまいかねない。しかし何よりも、私たちはすべて社会との関係無くして生きることはできない以上、Sense of Wonderとは自分だけが持てばそれで良いということでは無いし、いまこの社会にはSense of Wonderがまったく足りていない状況に対して、自分に出来ることは何であるのかについて真剣に考え、すぐにでもすべきことに取り掛かる必要性を強く感じている。

自分が少なくとも美術家としてこの世を生きている以上、Sense of Wonderを育む場をつくることこそが自分の役割であると思っていたいし、東京、長野を拠点に、つくり続けてきた場での経験をさらに次の場づくりへと活かすためには、いまはもっともっとたくさんのSense of Wonderとの出会いが必要なのだ。

子供たちの背丈の倍以上ある雪に囲まれた園舎の中、時折、子供たちと話しながらロケットストーブヒーターつくりながら、こうすることが自分にとってのSense of Wonderの育みの場になっているのだと思った。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です