「美術という言葉」


今年6月。随分と久し振りに美術展覧会(個展)をすることになりました。
広さ80㎡×高さ4Mの比較的大きな空間でおよそ2週間の制作。制作終了後に公開の予定。
制作期間および展示期間についての詳細は未定。
詳細決まり次第、あらためて報告致します。
  
  

20代も終わりに近づいていた頃。既にArtistという山の頂を目指し歩きはじめてはいたものの、自分の中に、そもそも、美術・Artとは何であるのかという疑問があることにおくればせながら気が付くと同時に、その疑問は次第に大きくなって、少なくともいま自分には展覧会は必要ないと思うようになっていた。
そう思うようになった背景には、美術がArtであるあたりまえ、があって、Artは自分にとっての「いま・ここ」を知るための大きな手掛かりではあっても、Artと美術とは同じではないと思っていた自分は、このまま美術がすべてArtになってしまうその前に知っておきたいことがあると思っていた。
それが自分には展覧会は必要ないと思う理由であったのだが、それにしても、そのことにこれほどにも多くの時間が必要になるとは、その時はまだ思ってはいなかったのだが。
 
 
いま、英語に翻訳するとArtである芸術と美術という言葉は、明治維新になって日本が西洋の思考体系を積極的に取り入れようとした際、英語をはじめとした外国語を日本語へと翻訳し充てられた言わば新しい言葉であり、liberal arts を「芸術」、fine arts を「美術」としたのだそうだ。
言葉とは、土地の気候・気象・地形・地質・景色(景観)などの風土や宗教観、生活様式などによって育まれる物事の捉え方、思考概念を表しているものだとすれば、人が言葉を用いてお互いの意思の疎通を行うということは、互いの間に共通する思考概念が必要になるということ。芸術や美術という言葉とは、西洋で育まれた思考概念を日本の思考概念によって理解した結果であって、西洋思考概念とは異なる日本の(東洋の)思考概念によって西洋の思考概念を理解しようとしたそのことは、現代日本社会の殆どすべてがほぼ無意識に西洋思考体系によって形づくられているいまだからこそ重要な意味を持っているのではないかと自分は思っている。
 
 
それはどちらかが優れているということではなくて、この風土で育まれた言葉の中には、この風土がどういった風土であるのかが多分に含まれていて、地球環境を如何にして持続可能なものへと転換にするかの重要な鍵もまた、かつてこの風土が育んだ言葉でもある思考概念の中にあるのではないかと自分は思っているということ。
かつて、fine artsに「美術」という言葉を充てたその思考概念、ことさら、そこに「美」を充てたその中に、この風土だからこその美の本質があると思うのだ。
 
 
どの言語であれ言葉は当然のこと意味を持っていて、美術にもArtにもそれぞれの意味がある。しかし日本語である美術が英語であるArtと同じ意味を持っているのかどうかは、それぞれの言葉を用いている人々がその言葉の意味をどう理解し、日常の暮らしの中でどのようにそれが機能しているかこそが重要で、美術家である自分は、日常の暮らし中で「美」がどのように用いられているのかを知ること、考えること、美を用いてつくることによって、Artと美術の共通点や相違点を探ること。それが美術家としての大切な役割だと思っている。
その意味からすれば自分はArtは美術を知るために重要であるとは思っているものの、Artは美術であるとは言えないし、美術家である自分もまたArtistであるとは言い難いとも思っている。
  
 
とは言え、Artと美術の違いなどもはやこの世にとってどうでも良いこともまた事実だと思う。
世界中のいたるところで戦争や紛争が続き、富める者と貧しい者との差が広がる一方、Artであっても美術であってもその価値は資本主義経済に直結していて、その言葉は一部の人々にとっての共通語となってしまっている気がしてならない。
かつて明治維新の時代。西洋の言葉に対して芸術や美術という言葉を充てることによって異なる思考概念を繋ごうとしたそうした働きは、世界中が西洋思考概念一色に満たされてしまっているかに見えるいまという時代だからこそ必要なのではないか。
美術やArtだけがその役割を担うものだとは思ってはいないけれど、少なくとも、Artや美術に関わる人々にとって、この世の分断は他人事ではすまされないのではないか。
それはなにも、世界情勢を考えねばならないということでは無くて、この世とはすべて、関係性の結び目によって繋がった全体であるということ。Artや美術はそのことと大きく関係しているのだと自分は思っている。
 
 
まぁ、何はさておき、久し振りの展示についてあれこれ考えつつ、自分はつくることによって、この世と関わることが出来ていて、生きていることが実感できるのだと思う日々が続いていることに感謝している。

 
 
※展示空間の画像は、FLATFILESLASH Web からお借りしました。

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