2021年6月に、FlatFileSlash Warehouse Gallery(長野県長野市)にて開催する、小池雅久 個展 「人は何故、山に登るのか」 Why do people climb mountains?
の作品制作をサポートしてくださる人を広く求めています。
※作品制作サポート作業に対して、金銭的なお支払いはできませんが、以下をお読み頂き、サポートができるよ という方がいらしゃいましたら、投稿へのコメント、私へのメッセンジャーによる連絡、メール等でご連絡ください。追ってこちらからご連絡差し上げます。
◆制作サポートを希望する作品について。
FlatFileSlash Warehouse Galleryの広さ80㎡×高さ4Mの空間を使ったインスタレーション(空間表現)作品を、細く製材した杉の角材と土(壁土)を用いて制作します。(作品イメージのドローイング参照)
・サポート制作には、高度な技術、経験は必要ありません。
・材料を支えて頂いたり、材料を運び込む…などの簡単な作業の他、壁土を塗る(左官に似た作業)が中心となります。
・女性、男性、年齢は問いません。
・基本作業時間は、午前9時半頃から午後6時頃までを予定。
・午前のみ、午後のみ、一日のみ のサポートも歓迎します。
・美術やArtに興味ある方。
インスタレーション制作に関わってみたい方。
小池マサヒサの活動に興味ある方のサポートを希望します。
※長野市近郊以外、遠方からのサポートして頂ける方の、宿泊等については 別途相談のうえ対応いたします。
「人は何故、山に登るのか」 Why do people climb mountains?
美術大学の学生だった頃。現代美術(Contemporary art)を知ったことは、その後の自分の生き方を決定付ける出来事だったとも言える。中でも当時、インスタレーションという手法による表現はArtにとっての流行みたいなもので、自分もまたそんな時代がつくる空気の中で、Artのみならず、表現行為はすべてインスタレーションであると捉えつつ、自分が表現すべき場所を探し続けた結果、気が付けば、自分が表現したいと思う場所は、美術館、画廊から遠く離れた場所へと移り変わってしまっていた。
自分としては何処で表現しようとも、それがArtであることは変わりないと思ってはいたものの、自分が既存のArtよりも別の何かに興味惹かれていたこともあってか、Artが次第に自分から遠退いてゆく気配を感じながらも、その頃から自分は、Artでもない、建築でもない、デザインでもない。
「場」をつくることの中で、美術家としての役割とは何であるのか、美は何処にあるのかを考え続けながらいまに至っている。
子供時代の落ち着きがない自分を見ながら母は、身体能力を活かした生き方…体育教師とかを目指して欲しいと思っていたようだったが、「登山だけはダメ…遭難したら、お金もかかるし、山なんか登っても何の意味もない…」と言われていたせいもあってか、山岳登山に意識が向かなかったものの、時折、山岳遭難のニュースを聞く度に母がそう言っていたことを思い出しながら、自分はいまもずっと登山に憧れているのかもしれない…まったくジャンルが異なる自分のものづくりの方法は何処か山岳登山に似ているのではないかと思うことがある。
とりわけ、インタレーションという表現方法は、完成した作品を何処か別の場所に移したり、保管したり、売買することは難しく、多くの場合、作品は、展示期間が終了すると同時に解体され、作品は跡形もなく消えて無くなってしまう。
限られた時間の中で空間を作品として成立させることは勿論のこと重要ではあるものの、作品として残らないからこそ、作品が出来上がるその過程もまた重要…というよりはむしろ、インスタレーションにとってはその過程こそがより重要であると言えるのかもしれない。
それついて考える時、山の登頂に成功するかどうかは勿論のこと重要ではあれど、その登頂が如何に成し遂げられたかもまた重要で、山岳登山はしなかった自分ではあるけれど、かつてロッククライミングにのめり込んでいた自分がそう思うのと同じように、山岳登山家にとってもまた、その両方を切り離すことは出来ないのだと思う。
自分が美術、そしてArtに興味持ったのは、インスタレーションが持つそうした移動不可能ゆえの物質的、時間的リアリティーさであり、それゆえに様々な関係性がそこに見えてくると思ったからだった。
その後、いまも自分は、美術やArtという領域ではなく、内装デザインや建築といった領域の中で、Artインスタレーションの手法を用いながら仕事することになってはいるものの、いまや建築にしろ内装デザインにしろ、その大半がほぼ完璧に分業化されることによって作業の効率化が図られるようになり、各工程に携わる人が全体をイメージする必要が無くなってしまっているのが現状だ。
今後も、こうした効率化の動きは加速するであろうことは容易に想像できることだが、そうした傾向はArtにとってもまったく同じだと思ってもいる。
もはや移動不可能なインスタレーションという表現方法は流行りではない。
移動可能なArtは益々進化すると同時に、Art作品としてのオリジナリティーの重要性はより希薄化してはゆくものの、Artというフィルターをとおして大量につくり出されるコピーArtもまた、オリジナルと遜色ないArtであると証明されることによって、社会の全体の分業化と効率化はより促進されてゆくのだと思う。
自分はそうしたArtの方向性に対して異を唱えるつもりはない。それもまた自分たちの過去の想像がいま、具現化したということなだけ。
しかしもはや、そういったArtでは自分自身を満足させることができなくなってしまった。
そんなことを昨日は仲間と語りつつ、FlatFileSlash Warehouse Galleryでの展示は、自分がこの世を理解するための手法を用いて表現してみたいと考えている。
そのために、今回の制作では、未だ誰も登頂したことのない…そもそも、その山を登ろうとする人は誰もいない、何の情報もない山を登ってみようと思っている。
この登山はあえて登頂を目的としない。限られた時間の中で、自分が満足できるところまで登った後、下山したいと思っている。
自分に許されたFlatFileSlash Warehouse Galleryを占有できる期間はおよそ1ヶ月。
このインスタレーションに要する一連の時間すべてを作品として捉え、搬入から搬出迄すべてを公開で制作します。
人はなぜ山を登ろうとしたのでしょうか。
私はいまもずっと、そのことばかり考えています。
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