「惑星だより」

facebookというSNSの仕組みゆえ、一つの投稿が人目に触れる時間的有効性は極めて短く、基本的には過去の投稿を探すことを目的とはしていない。
その意味からすれば、SNSはHPやBlogとは性質が異なるものであることは理解はしているつもりだが、所詮、自分にはSNSは性に合ってはいない。そこでFaceBookに投稿しているタイトル付きの文章は、再度、「美学創造舎マゼコゼ日記」と題したBlogに投稿するようにしているけれど、いずれこうした文章も含めて、自分の散乱する思考と活動の記録はすべてHPのみに一本化し、できれば「本」という形にしたいと思ってはいるものの、いまはまだそこに力を集中させることができていない。
SNSという仕組みは巨大企業の企みの下にもたらされるサービスと言う名の巧妙な仕掛けであって、そこに繋がる社会について想像すること思うことは多々あれど、自分が感じ考えることを言葉によって人へと届けることができる可能性がそこに少なからずあるのだとすれば、いまはそれはそれとして使わせて貰おうと思っている。
https://mazekoze.wordpress.com/
 

すこし前のこと。私たち家族がまだ国立市に暮らしていた頃に、装飾金物制作の依頼をしてくださった方が長野市に旅行に来られた際に、偶然にもMAZEKOZEを見つけ出し訪ねて下さった。
自分は残念ながらその時は不在で、お会いすることは出来なかったけれど、先日、その方が発刊している、「惑星だより」という季刊誌数冊とお手紙を頂いた。
国立市の公民館やカフェ数カ所に置いているという、A4判の白い用紙を半分に折った、A5判、20ページ程の簡素な装幀の小冊子。
2014年に創刊、途中2年間休刊をはさみ、最新号は12号。この小冊子は、自分たちが国立に暮らしていた頃に、ことあるごとに立ち寄らせて頂いていた、国立“カフェひょうたん島”の店主・星野ちゑさんが創刊からエッセイを寄せていたのだそうだ。
自分たちが国立市から長野市へと移り住んだのは2009年の春のことで、惑星だよりという小冊子が発刊されていたことも知らなかったけれど、国立の知人から、星野ちゑさんがお亡くなりになったことだけは聞いていた。
送って頂いた、惑星だより9号は、星野ちゑさん追悼号とされていて、星野さんが1号から7号まで寄せていたエッセイがまとめられている。
自分が国立に暮らすその前から、そして自分たちが国立から転居してからも変わらずに愛され続けた、“カフェひょうたん島”という場はまさに国立市の風景そのもの。
かつて自分たちが、ひょうたん島と同じ国立市で、Plantercottageという場づくりをはじめたのはけっして偶然ではなく、あのコーヒーの香りと様々な表現者たち、そこに集う人たちによってつくり出される時間と空間が醸し出すイメージは自分の中には常にあったし、そのイメージいま、長野市という街でMAKOZEKOZEという場づくりになってからも変わらない。
 
惑星だよりを読ませて頂きながら、あらためて空間が場へと変容するために必要なことについて考えると同時に、その惑星だよりに、数年前に自分が書いたまま、「美学創造舎マゼコゼ日記」の中に言葉として掲載したままだった詩編の中から2点を掲載したいという申し出を頂いけたことは、自分にとっては言いようのないほどの喜びで、自分が追い求める美の在り処に、よやく一歩近付けたような、そんな気がしている。
 
 
 
同士 ー漆黒の思い
   cafeひょうたん島店主 星野さんへ
 
ひょうたん島はひとつの村
様々な人が暮らしている
そこで店主は店主は一段下がって言葉控えめ
村人の話に耳を貸す
だがここに集う人は知っていた
奥底深くから湧き ある時はフツフツと沸く
店主の静かな思いと煮えたぎる思いを
それらは日々 ヤカンの口から
コーヒーの漆黒へと注ぎ込まれていたから
静かな思いは静かなまま
煮えたぎる思いは煮えたぎるまま
村人はカップに手を添え飲み干した
ロアにケア ビスケットに酵母パン
立ち上る香りとともに村人は忘れない
人から人 言葉から言葉 声なき声
大学通りを南北に 桜通りを東西に
静かで煮えたぎる漆黒の思いを
次の人へ 隣の人へ
ここに集った人がその証し
星野さん さようなら
 
(山口 修)
 
惑星だより ー9ー
星野ちゑさん追悼号 2019春 より

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