秋が好きというよりは秋の訪れを知らせる気配と自分の遺伝子が活発に反応しているような感覚。
普段、意識することのない記憶が蘇るような感覚。
この感覚はいつから自分の中にあるのだろうかと思うこの時期が、自分にとっての秋のはじまり。
大学生の頃から25年間以上暮らしていた国立市から「惑星だより -14- 2021年秋号」が届いた。
「惑星だより」は、国立市の公民館やカフェ数カ所に置いているという、A4判の白い用紙を半分に折って手づくりされた、A5判、15から20ページ程の簡素な装幀の小冊子。
このまちに暮らす知人によって、2014年に創刊。途中2年間の休刊をはさんだ後、季節毎に発行されている。
2021年 秋号の表紙は、国立市と善光寺のあるまち、そしてカナダの都市、Nelsonが線と面で繋がったデザイン。その善光寺町である長野市に暮らす自分の詩と文の3編も掲載されている。
自分たち家族が国立市(くにたちし)から長野市へと暮らしの場を移したのは2009年の春。
その春に小学校に入学した娘は、今年の春から東京の大学へと進学した。
娘にとっては、0歳から6歳迄とはいえ、国立市は特別なまち なのだそうで、彼女の中の感覚では、東京は行くという感覚の場所ではなくて、どちらかと言えば 帰る感覚に近いのだと言っていて、いまは国立市には暮らしていないけれど、いずれは国立ではなくても、国立と同じJR中央線の沿線のどこかのまちに暮らしたいのだそうだ。
生まれ故郷では無くても、いや、生まれ故郷てはないからこそ、自分が暮らした「まち」には何か特別な想いが生じるのかもしれない。
良かったこと、良くなかったこともあったとしても、人の記憶というものは、まちの気配と共にあるのは確かだと思う。
できることなら、いつかまた国立に暮らしてみたいと思う。
国立というまちの記憶が、自分の中の遺伝子を震わせている。
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山の匂い
文・小池雅久
「このままじゃどうしようもない…という無力感に襲われ、何かに押しつぶされそうで、それを必死に払い除けようとする時、そんな自分のずっとずっと奥底にほんの僅かながら煙が出始めているような感覚がある。
それは、火起こし棒を擦って火種をつくる時に似て、煙が出始めたこの瞬間かrほんのしばらくが最も辛く、でも火を起こすためには最も大切な瞬間であることに似ている気がする。
もう少し、もう少しだけ我慢すれば煙の根元に火種ができる。そうしたら、火を産むことができる。」
(2011年6月6日)
惑星だより 2021 秋号に掲載
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