「人は何故、山に登るのか」ギャラリートーク

個展を打診して頂いてから4年。自分のスケジュールの中に個展という時間を入れ込むことができず、町田氏には申し訳なく思いながらも、開催時期の延期を幾度もお願いしてきていた。

美術家という生き方は自分がこの世を生きるために選択した生き方であって、美術家の思考、判断を用いることによって自分の日常は支えられてはいるものの、美術作品をつくることが自分の日常すべてを支えているということではない。このことは自分に限らず、美術とは何かということにも通じる大切な部分ではあるものの、自分は社会に対して未だこれについてを十分に伝えることが出来ていないし、社会もまたこれについてを理解することが出来ていない。

町田氏から個展を打診された時点から、展覧会にはまとまった時間が必要になることは容易に想像できてはいたものの、既にそのための時間を自分の日常の中に入れ込むことは予想以上に困難なことだった。その困難を理解して頂いた町田哲也氏には深く感謝している。

以下、本展の企画者である、フラットファイルスラッシュ町田哲也氏の投稿を転載します。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=4026436787474033&id=100003232549471

共に同世代として通り過ぎてきた半世紀以上の時空は、勿論個別には差異はあるけれども、短絡することはできない時空だったし、これからもそうだろう。禍々しく荒々しい土石流やあの津波をも浮かばせる渦構造の中央を、今静かに、行者や修験者が山岳や霊地を他界、胎内とみて巡歴修行する死んで生まれ変わる擬死再生の行と重なる、胎内くぐりのように通過経験するイニシエーションの香りが忍ぶ空間をひとりの人間が創出した。個展開催を打診して四年後の実現となった。当時持ちかけたサブタイトル「レジリエンス」をそのままとした。やはりこの作家は、物理的にも精神的にも、深刻さを打開するレリジエンス因子を公開制作という過程に実直に含ませて、あえてこの困難な時勢に、われわれに多くを与えてくれる。感謝しています。

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