「人は何故、山に登るのか」公開制作 7日目

FlatFileSlash Warehouse Gallery

〒380-0875 長野市大字小鍋11-17 倉庫ギャラリーフラットファイルスラッシュ.

11-17,Konabe,Oaza,Nagano City. 380-0875 FlatFileSlash Warehouse Gallery.

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31日間、山を登ってみることにした。

美術展覧会と聞けば、そこには既に完成した美術作品があると思うかもしれないが、今回の展示では、作品の制作を展覧会場で行い、その制作過程はすべて公開することにした。既に展覧会は始まっている。

作品の完成は31日間の行程がすべて終了し、作品として使った材料がすべてギャラリーから搬出された時点。あるいは、日々完成状態は更新され続けていると捉えることもできる。

草も木も石も、川の流れも、人のいとなみも。

この世とは日々変化し続けるもの。

この世という全体にとってはそれがあたりまえでありながらも、そのあたりまえは何によってもたらされているのか。なにによってた保たれているのかについてを知りたい。

そこに関係する美しさについて考えてみれば、変わることなく、固定された状態に置かれたものの中よりも、日々変化し続ける状態の中にこそ、それはより多くあるのは当然で、自分は出来る限りたくさんの美をまざまざと感じていたいと思う。

そう思いながらも、それを作品としてどう表現すれば良いかについてはわからないまま、何となく始めたFreeclimbing(岩登り)に明け暮れていたその頃。

自分の力の限界をまざまざと感じながらも、どうにかこうにか岩にへばりついている自分のその上を優雅に飛び回る鳥や、ギラギラと照りつける陽の光や風の音…。そうした全体の中に自分があると感じたあの瞬間。

そうした感覚を日々の暮らしの中で感じるにはどうしたら良いのか。

それをつくることはできるのだろうか、と思いはじめていた。

クライミングで痛めてしまっていた腕のリハビリも兼ね、当時暮らしていた東京都国立市内にある、老朽化した木造平屋の建物を借りて妻と二人で改修することにしたのは1999年の3月。

室外には植物を植え、室内には土。Plantercottageと名付けたそこで、目的を特に定めず、この場所に訪れる人やモノやコトを見続けようと始めた場づくり(1999-2013)。

その後、自分たち家族の長野県長野市への移住と共に、Mazekozeという場づくりを開始。

場づくりは現在も継続しているが、ギャラリーや美術館で展示しなくなってから、ふと気が付けば既に24年間が過ぎてしまっている。

でも、そんな浦島太郎状態の自分にとって、この二つの、日々変化し続ける場づくりのどちらもが自分と妻による共同作品ということになる。

ナガノオルタナティブ レジリエンスと題して企画して頂いている

小池雅久展 「人は何故、山に登るのか」

では、そんな二つの場づくりを通して自分が考え、感じてきたことを作品として表してみたい。

昨日で制作開始から7日が終了。

いまのところはまだ、山のピークに向かって登っているといった状況。

日々更新される完成状態。

それは日々変化し続けるこの世の姿にも似ている。

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