外見からはそれなりに頑丈そうに見える…らしい自分は、確かに、腰痛とかとか膝の痛みとかといった症状はない。
数週間前、市から予防接種の知らせが届いた。その中には予防接種を受けることができない人、注意が必要な人という項目が記載された説明があって、・本ワクチンの成分に対し重度の過敏症(※2)の既往歴のある人 について記載されいる。
(※2)とは、アナフィラキシーや、全身性の皮膚・粘膜症状、喘鳴、呼吸困難、頻脈、血圧低下等、アナフィラキシーを疑わせる複数の症状。
だとすると、指定難病162・類天疱瘡という、日本全国で7000~8000人ほどと推定されている病を抱えている自分は、いま現在は目立った症状は無いにしても、この病が全身性の皮膚・粘膜症状を伴うものである可能性からすれば、予防接種を受けることができない人 ということになる。
医師からは、この病は現在のところ根本的な原因が解っていないものの、その病状が出ないように投薬によってある程度予防することができる…と言われてはいるものの、自分はかつて、その投薬治療で、結果として片目の視力が著しく低下したことによる経験的判断もあって、現在は投薬による予防はしていない。
私たちがこの世に生きる上で、生命に対する危険性を減らす努力は欠かせない。医学もまたそのためにあって、長い歴史の中で育まれた知識と経験が医学に活かされ、自分もまた、そのおかげでいまここに生きることが出来ていることを否定することは出来ないとは思う。
ただ、この世に於ける自然との共存について考えてみれば、そこには理想と現実が浮かび上がることは事実であり、人間は自然との共存という理想を成立させるために、数多くの生命をないがしろにし、自然を破壊して来たという現実がある。
人間の命を脅かす存在、その危険性を減らそうとすることはあたりまえなのか。
医学や薬学はともすれば、人間中心にこの世を捉え、そこから導き出される答えこそがこの世にとっての絶対的幸福であるという答えに成りかねない…。
近い将来、遺伝子ゲノム解析が進み、自分が指定されている難病も解除される日が来るのかもしれない。
そうした医学をはじめとする科学の進歩は、人をこの世に生かすために今後益々、その重要性は増して来るのだろうけれど、そうしたいっぽう、人もまた自然であることによって保たれる生命であることの重要性を如何に失わないでいられるのかについてけっして忘れてはならないのだと思う。
予防接種を受けることが出来ない自分であればこそ、人もまた自然であるという重要性について、生命とは何かについて考えることが出来るのだし、とにかく自分を生かしてくれているこの生命に感謝したいと思っている。
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