「川の淵に生きる」

あの日、テレビ画面に映し出された見覚えのある場所は泥色の水の中に沈んでいた。

川と町を隔てていた境界線が無くなったその状況は、かつてこのあたり一帯は川の流れが蛇行することによって、浸食と堆積をくり返していたであろうことや、この川に流れ込む幾つもの河川が扇状地の広がりをつくり出していること、それぞれの風土に沿った生命や人の暮らしを顕にする。

それはつまり、生命の営みは川の流れと共にあり、すべての生きとし生けるものは一体であるということだ。

水と混ざりあった土は泥水となる。

川と町を隔てる境界線を越えた泥水は、いったんは高みへと押し寄せたその後、重い泥は下に沈んで残り、泥と分離された水だけがその表面を低い方へと流れ去る。

後に残った泥は、下から順に、砂、次は粒径が0.074~0.005mmの土粒子であるシルト、表面にはそれよりも細かな粘土にわかれる。

この泥にはさらに、草や葉、それらを分解するバクテリアをはじめ有機物が大量に含まれていて、そうした泥がつくる河川敷周辺の土壌は、水はけが良い、植物の成長し易い豊かな土壌を形成する。

しかし言わずもがな、川の氾濫が起こればそれまでに費やした苦労が台無しになってしまう…。

こうした地域に暮らす人々は、川の氾濫に備えるにはどうすれば良いのかを学び、考え、実践すると同時に、そもそも、川の氾濫が何故起こるのかについてを学び、知り考えなければならなかったはずだ。

海と山は川によって繋がっている。

いま、海岸線の砂浜は減り続け、海に流れ込む川底には大量の土砂が堆積し、突発的な大雨によって河川の氾濫が全国各地で相次いでいる…。

自然とは何か。

社会の成長とは何か。

生命の存続にとって必要なものとは何か。

川底の泥の底に、知りたいものが沈んでいる。

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小池雅久展 2022 

Masahisa Koike Solo Exhibition 2022

「Muddy River 泥の河」

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